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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「新山」と「にゅうやま」

2017-06-02 23:54:00 | 地域から学ぶ

「新山」と「にいやま」より

 新山でいろいろ活動をされている方に話を聞くと、「にゅうやま」と呼んでいるのは「よその人たち」と言われる。ようは周囲の人たちがそう呼ぶようになって、内側にいると「にいやま」なのに外へ行くと「にゅうやま」になっているよう。ここから解るのは、よその人たちが「にゅうやま」を広めたとも言える。前回も触れたように、新山の周囲とはいえ、同じ富県の人たちは「にいやま」と呼ぶ。外部から自分たちの地域の呼び名が変わってしまったとしたら、ずいぶんお節介な話だ。

 歴史を辿って「かつてはそうだった」という呼称にまつわる話はよくある。とくに地名研究によってその意味を解き始めると、現在付されている漢字さえ異なったものとなる。「新山」が「丹生山」だとしすればこれも同例である。また「新山」については「新」を英語読みして「new」、そこから語呂合わせのように「にゅう」が付されたなんていう説明も登場している。

 「かつてはそうだった」そんな例で近年頓にちまたの呼称が変わってきたのが、本日記でも何度か触れた「風越山」だ。わたしの記憶では「ふうえつざん」だったが、現在ではほぼ「かざこしやま」で統一されている。そもそもなぜ「ふうえつ」になったかなのだろうが、ウィキペディアには次のように記されている。

中世の和歌にも「風越の峰(かざこしのみね)」と詠まれ、飯田市内の小学校・中学校・高校の校歌にもみな「風越山(かざこしやま)」とうたわれている。 昭和24年、飯田西高等学校と飯田北高等学校が統合され、飯田風越高等学校(いいだふうえつこうとうがっこう)が誕生し、その後、「ふうえつざん」と呼ばれるようになった。現在、地理書、各種の資料、行事等でも「ふうえつざん」という名が使われているが、「風越山」の正式な読み方は「かざこしやま」である。

ようは高校名が山の呼び名に変化を与えたというものだが、それにしてはずいぶん「ふうえつざん」が常態化していた。もしかとたらこれも外部の人々によってもたらされたものかもしれないが、わたしにとって飯田とかかわった時代背景からは「ふうえつざん」しかありえない。これはそれぞれの人によって捉え方が異なることなのだろう。

 「新山」にしても歴史を紐解けば「丹生山」と表記され呼び方ももちろん「にゅうやま」だったかもしれないが、今は「新山」であり「にいやま」である。現在住んでいる人々の想いもあるだろうし、「新山」になった歴史もある。本来に合わせて「にゅうやま」と呼ぶのなら漢字も「丹生山」と変えるのならまだしも、地域がそれを求めているわけでもないのに、なぜか「にゅうやま」に変わりつつある根源には何があるのか、今後も注意深く探っていこう。

終わり


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