Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

波紋

2009-05-25 12:35:17 | 自然から学ぶ


 ため池に限らず水辺にはトンボがたくさん飛んでいる。水辺といっても流れの激しい河川はちょっと遠慮されるが、流れが穏やかな場所なら良好ということになるだろうか。

 暖かかったこの日、ため池を訪れると水面にメダカが上がってきていた。どんよりした空の下では水面まで上がる姿はそれほど見ないが、日が当たり水面の温度が明かに上がっているだろう環境ではメダカたちにとって水面は心地よい環境のようだ。ふとそんなメダカを追っていると、岸辺にトンボがとまっているのが目に入った。トンボはチョウと違って、なかなか人の気配には敏感だ。だからとまっているトンボの姿をカメラに納めようとしてもなかなか思うようにいかない。少し身体を捩ってとまっているトンボが際にいたわたし感知せずにとどまっていることに、すぐに様子が普通とは違うというのは解った。手を伸ばし捕まえようとしても逃げはしない。{飛べないのだろうか」と捕まえ見るがどこうがどう問題なのかはわたしには知る由もない。例のごとく{飛べ」とばかりに投げてみると、ばたつきもせずそのまま低空飛行をして水面に落ちた。そのまま動きもしない。「まずい、悪いことをしたな」と思うものの、すでにわたしからは手の届かないところである。

 子どものころトンボの尻尾を切って草を差し込んで飛ばしたことを思えばむごいことをしたとは思わないが、本人にとってみれば岸辺で留まっていたものをわたしのせいで大海に放たれてしまった。どちらもそうは変わらないものかもしれない。しばらくすると翅をばたつかせ始めた。飛ぼうとしているのか岸辺まで舟を漕ぐように移動しようとしているのか、しだいに水面上を移動し始めた。しかし大海、そして穏やかなものの少しばかり水面を風が吹く。なかなかばたつかせる努力は報われない。

 水面にはトンボの作った輪状の波紋が広がる。水面を移動する昆虫たちが少し動いただけでもこうした輪状の波紋は生じるものだが、さすがにばたつかせているトンボの波紋はその空間だけを見るととても大きな波を作る。同じような動きで同じような間隔での振動は、見事に輪を幾重にも折り重ねたように波を起こす。ため池という水辺でこうした波紋を見るのことはそうはないこと。ひと時をそんな波紋を追い続けた。

 この日、ようやくかぶれが完治しそうななか、再び土手の草を刈った。すでに伸びてきた葉の様子でかぶれる木かそうでないかは判断の効く時期になったが、地面から少しばかり伸びたその手の木、いやまだ丈からゆけば草といっても良いものだろうが、そんな草を刈ったところ完治しそうな腕や足の同じ場所が再びかぶれ始めた。よほどかぶれには弱いのだと自ら悟る。飛び散った草の汁が顔に飛んでいたことは認識していたが、まさかという思いはそのとおりとの不安を解消せず、帰宅後かゆみがおさまらない目尻をかく自分がいた。

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