Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

この会社に将来は既にない

2009-03-23 12:41:50 | つぶやき
 かつて同僚だった彼には、意外な言葉を聞いた。彼が言うにはわたしが採算性のようなことを絶えず言葉にしていたから、無駄な行動は慎まなければならないと感じたようだ。そういえば厳しさが増す中で、自分の将来をどう描くべきかということについても折に触れて話をした。当時のわが社は、まだまだ「行け行け」みたいな感じであまり現実と将来の不安定さを思い浮かべるには仕事に追われすぎていたきらいはある。冷静さに欠けていたとまでは言わないが、会社に入って少しばかり経験を積んでいればそのくらいは見えていても不思議ではないはずなのに、それが見えない人が多かったと言えるかもしれない。もう何年もそうした意識を同僚たちに言葉で表していたのに、ほかの部署の社員は何も気がつかないでいると知ったのは、2年ほど前に会社の中長期計画を見直すに当たって社員の中から自己推薦方式で委員を集めて開かれた席でのことであった。その中にはまさに会社を執行しているトップも加わっていたが、そうしたトップは別として、一般社員のほとんどの委員が会社の現状にはまったく無知だったことである。そう考えれば、わたしが同僚たちに発していた言葉は、同僚たちにとってはうわ言のように聞こえていたのかもしれない。なぜなら、わたし以外には誰もそのことについて触れなかったということなのだろうから。

 かつて同僚だった彼にそんな意外な言葉を聞いたのは、久しぶりに彼の近くで仕事をするようになった時だった。彼はわたしの言葉を常に意識していたせいか、その部署で浮いた感じであった。だからこそわたしが教えた言葉をわたしに返し、あらためて確認したということなのだろう。そんな彼はもっと意識をはっきりと表現できる場を望んで会社を辞めていった。そう考えると当時わたしがそんな会社の現状を踏まえて意識を高く持たなくてはならないということを教えた同僚は何人か辞めていった。この会社では意識を高く維持しようにも、それを受け止める土壌がなかったといえるかもしれない。ではなぜわたしはここにまだいるのかということになるだろう。わたしの若いころには、そうした意識にさまざまな方面から意見をしてくれた。そういう人たちたがいてくれたということが幸い(不幸)だったのかもしれない。受け止めてくれさえすれば、どれほどそこに矛盾を思おうと、我慢ができたということになるだろうか。辞めた同僚はその間際に大きな喧嘩をした。まさに周囲は受け止める心の余裕がなく、彼を殺してしまったのである。

 しだいに最悪な空気が広まり、いまや吸収するどころか逆に悪意にしか見えない仕打ちが当たり前のように繰り広げられるようになったわが社。かつての同僚が新たな会社で第一歩を踏んだときこんなことを言っていた。こちらにいたときは会社のトップと顔を合わせることなどめったになかったし、顔を合わせても声を掛けて話されるということもなかった。しかし、新たな職場では毎日のように社長の顔が見え、そして声を掛けてくれたという。わたしの考えを素直に受け止めた彼は、気が短かったが繊細なところがあった。彼にとってはこうした上司のなんでもないようなことがとても大事なのであった。わが社では相変わらずトップといわれる立場の人たちは出先に顔を出すことはない。わたしはこの1年そのトップといわれる人物の顔を拝見したことはない。たかが100人ほどの会社なのに働いている人たちへの配慮など何もない。そうした中でそのトップが人事をする。もはや適正な人事などできるはずもない。不信感は募り、解体していく姿がそこから見て取れる。

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