Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

最近の「おくやみ欄」から

2012-01-09 23:59:51 | ひとから学ぶ

 昨日の新聞のお悔やみ欄をながめていると、「葬儀は○日、近親者のみで行った」というものが目に入った。わざわざ新聞に掲載しているのに「近親者のみで」という葬儀の連絡が、ちょっと違和感があった。そんなお悔やみの報じ方もあるんだと妻に言うと。「最近多い」という。わたしはあまりお悔やみ欄を読まないこともあって、このごろの傾向を感じ取ったわけである。ちなみのその欄には「元○在住」とあって、その在住していた町の欄に掲載されていた。現住所は記されていない。ご存知の通りお悔やみ欄には連絡先は記しされていないから、報じられていても、どう連絡をとってよいか解らない。近親者で行った、ということで既に終了しているし、もう亡くなったので連絡はとれません、と知らしめているのだろうか。年賀状のことで触れたが、義父は今年年賀状を1枚も出さなかった。いつも文字いっぱいの年賀状をもらっている方にしてみれば、届かないことで「どうかしたのではないか」とこのところ安否をうかがう電話や、直接来訪される方が絶えないという。そういう意味では葬儀の日取りを連絡するだけがお悔やみ欄ではないことをあらためて認識させられる。とはいえそもそもお悔やみ欄は葬儀のお知らせ欄というのが一般の解釈である。

 このお悔やみ欄、信濃毎日新聞は無料で掲載してくれるが、地域で発行されているローカルな新聞は(例えば「南信州」や「信州日報」)有料だという。文字数によってその値段が異なるらしく、節約したい人は最小限のことしか掲載しないという。そもそも新聞はお悔やみ欄を読むために購読しているという人もいるらしい。いわゆる催しの連絡欄と同様、情報を詳細に報じていることでその信頼度が上がるもの。とすれば自分で探さなくても紙面を埋めてくれる情報を提供してくれるタイプのものから料金を聴取するのはいかがなものだろうか。

 さて、わたしとしては初めて「葬儀は○日、近親者のみで行った」というものを見たわけであるが、最近のお悔やみ欄はどうなんだろう、と信濃毎日新聞の1/9お悔やみ欄を総覧してみた。76名の方が掲載されているが、長寿社会の象徴のように100歳以上の方が3名もおられるほか、90歳代の方も多い。意外にこの日は若い方も多かったのが印象的。やはり「葬儀は近親者のみで行った」というものが一例、亡くなったことだけを報じたものが一例あった。なるほど妻の言うとおり、この手のものが多くなったことを教えられる。葬儀の会場はほとんどが葬祭センターの類。お寺で行う例もそこそこあるが、その中にも寺独自の葬儀場を持ち合わせているところもあるようだ。過疎地の村々において、集落センタークラスの会場を利用するところが若干ある程度。もはや自宅という葬儀をお悔やみ欄に探せることはまずない。それとこのごろの葬儀は喪主を務められる人がさまざまだ。かつてならほとんどが「長男」だったのだろうが、今では多種多様。「妻」というものが目立つようになったし、娘の夫とか孫とかいろいろである。現代の家族事情がうかがえる。


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1 コメント

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あまり、の、りが抜けてる (大内 子寿恵)
2012-01-19 19:15:54
まずは、家族に連絡してから、葬儀席に並ぶのが、長野県の流儀です。

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