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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

北信濃とは

2019-01-05 23:24:40 | 信州・信濃・長野県

 どうしてもこういうことにこだわってしまうのは、わたしの悪い性格かもしれない。ある投稿文を書きながら引用文の掲載されている『民俗芸能研究』65号(民俗芸能学会)をあらためて見ていて違和感を覚えた。本号には2編の長野県関係の論文などが寄稿されている。双方ともに同じ意味の違和感を抱いた。ひとつの論文は三田村佳子氏の「北信濃の「灯篭揃え」-多様化する燈籠風流-」というもの。もういっぽうは櫻井弘人氏の「南信州における無形文化遺産の継承と活性化の取り組み」である。どちらも地域名称を付している。以前にも「南信州」とはどこだということについて触れたが、地域名称の不明瞭さは、平成の合併以降とくに目につくようになった。合併によってかつての地域の枠を超えて合併が行われたため、こういう現象が起きるのはわかりきっていたことだが、とくに学術誌においては、こうした地域名称があたかも旧来のものという印象を与えてしまい、正当化してしまうこともある。

 前者である「北信濃」と耳にしたとき、当初はかつてよく利用された「奥信濃」地域をイメージした。「灯篭揃え」というタイトルからして、おそらく奥信濃を中心としたエリアを指しているのだろうと捉えたのである。ところか内容を読んでみると、始まりは須坂市や長野市から始まる。そして伝播は奥信濃へ。「北信濃」についてはネット上で検索すると、確かに今は正当化できる名称のようだ。しかし、長野以北に都合8年ほど働いたわたしにとって、当時の印象からすると馴染みにくい単語だ。もともと長野県を指す「信濃」であるが、南北東西を使った「信濃」は、それほど耳にしないものだった。というか、わたしの印象では「北信濃」とは長野周辺のみで、県境地方は「奥信濃」というイメージだ。同じことは「信濃」に代わる「信州」も同様。ところがとりわけ信州を前面に出した名称の比較的先行例は「北信州」みゆき農協だっただろうか。いわゆる飯山市を中心としたエリアの農協が平成10年に発足した。今はながの農協に合併して存在しないが、このあたりから曖昧な新しい名称づけが目立つようになる。ウィキペディアにおいては、北信地方の項で「北信地方(ほくしんちほう)とは、長野県の北部を指す。地方中心地は長野市。」と書いている。そして注釈として「中野・飯山を中心とした「北信地域」とは異なります。」と記す。さらに「長野盆地の俗称から善光寺平(ぜんこうじだいら)と呼ばれたり、北信州(きたしんしゅう)や北信濃(きたしなの)とも呼ばれることも多い。郡名を取る場合には、長野市が属していた上水内郡から水内地方(みのちちほう)と呼ばれる。」とある。この文面からだと、下水内郡や上下高井郡が入らないようにも聞こえる。ウィキペディアでも正確な地域枠を示せていない感じだ。

 こうした曖昧な雰囲気を撒き散らしているのが、広域圏を括る単語を捻出している長野県なのだろう。長野県観光部信州キャンペーン実行委員会のホームページには県内の地域枠を次のように示している。

北信=北信濃
東信=東信州
中信→木曽郡を木曽路、それ以外を日本アルプス
南信→諏訪郡を諏訪、上下伊那(伊那谷)を伊那路

観光関係者が納得した上でこうした名称になっているのだろうが、びっくりするような地域枠だ。

 ということで、今では「北信濃」と言っても納得する人が多いのかもしれないが、民俗で扱う地域名称として「北信濃」が正しいかどうかは、検討して使うべきだと、わたしは思う。

 もうひとつの「南信州」は、おそらく内容の中に登場する南信州広域連合との関係上で利用しているのだろうが、これもまた、伝統的なものを扱う際に正しい利用法なのか、あるいは注釈を入れるべきではないか、そんなことを思う。


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