Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

容易ならぬ空気

2017-12-01 23:14:33 | ひとから学ぶ

 人はそれぞれだと思う、たかが会社の狭い空間であっても、そこにいる一人一人が、実に多様だ。そしてそれぞれの間で、ウマの合う人、合わない人が錯綜する。そもそも会社ではいろいろな世代が同居する。育った環境も違えば、地域によって常識と思われる事柄が、ほかの地域ではそうでもないことはいろいろあったりす。単純に地域性とは割り切れない、そして気がつけば気がつくが、そうでなければ自分本位にそれを解釈することも多々ある。したがって他人が同居した際に、どれほど相手を理解できるか、にもかかわってくる。

 したがってウマがなかなか合わない存在も現れる。けしてだれからも相手にされないわけではないが、その狭い空間では敬遠されてしまうような存在。悪気があるわけでもないし、そんな人でもウマの合う人は必ずいる。そして前述したように会社では上下関係もあるし、それまでのいろいろな関わり方も重なってくる。かつての忌まわしい経験が、相手を偶像化してしまうこともある。けして逃れることのできない存在感である。そこから発生する敬遠気味な関わりは、狭い空間に壁を作ったり、あるいは気まずい空気を流させたりする。お互いが少しばかり意を決して一言ふたこと投げれば空気が変わるはずなのに、それぞれが自分を押し通す。もちろん気まずい空気は怒張していくのは自然な流れだ。

 そんな空間を自ら作り上げたことは、かつていくらでもあった。「お前のせいだ」と言われたことも度々あった。しかし、今はそれを傍目で見ながら、その気まずさを解消しなくてはならない、そう思うような自分がいる。かつての自分の経験など何の役にも立たないが、それを作り上げている周囲の対応にも課題があると認識する。繰り返すが、たかが狭い空間にあっても、まったく世界の異なる人々が同居するのだから、こんなことは少しも珍しいことではない。が、こと業務空間ともなると、それがさまざまな支障を生むとも限らないし、実際の空気は大きく逸れた方向に流れ始める。「ほんのちょっとの意識だけで変えることも可能なのです。ウマが合わないままつき合い続けるより、その相手をウマが合う人に変えてしまった方が楽です。」なんて言葉を見つけたが、まさにその通りなんだろう。しかしながら、強い言葉と控えめな言葉を発するお互いが、相いれてウマを合わせることは容易でないことは、いまさら言うまでもないことだろう。でも、ちょっとした言葉で空気そのものは変わるもの。それぞれに発した補いの言葉が、どう彼らから壁を押しのけることができるか、それもまた周囲のあり方しだいなのだろう。

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