Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

“すり初め”

2017-12-30 23:56:11 | 民俗学

 かつては駒ヶ根市内にある美容院に通っていたが、閉店してしまったため、今年になってから飯田市内の美容院に通うようになった。いわゆる「丘の上」にある美容院で、かつての飯田城の堀の上にあるという。実は昨年の今日、まだこの美容院に入ったことはなかった時、美容院前に飾られていた飾りに興味を持ったことがあった。このことは「正月を迎えるマチ」で記した。その飾りには水引が付けられていた。なるほど「水引」をつけるのは飯田らしいと思ったわけだ。その美容院に今年4度目ほどになるだろうか、訪れた。

 これまでの会話の中で我が家がブク(喪中)であることは認識されていて、第一声が「今年は飾りをしない」という話になった。息子さんのお嫁さんのところで不幸があったということで、息子さんは毎年恒例だった正月の行動を、今年はしないと言っている、というあたりから話が始まった。そんななか「鳥居をくぐらない」という話になって、我が家は組長をしていて、たまたま祭典当番が回ってきていて「出ない」というわけにはいかず、もう何度も鳥居をくぐっているという話をした。マチの中に暮らしているその方によれば、ブクなら「鳥居をくぐらない」は今もって頑なに守られているという話をされていた。

 そんな正月の話をしながら話題になったのは「すり初め」のこと。「すり初め」とは正月2日にとろろ汁を擦って食べることを言う。実は意外に広く行われている習俗なのに、限定的なのかあまり認知度は高くない。たとえば『長野県史民俗編 第二巻(二)南信地方 仕事と行事』にもその記述は少ない。正月の項にあえて「スリゾメ」を拾うと、「スリゾメとっいって主婦が長芋をすって家族みんなで食べる。(石曽根、S-30-長峰、南条、座光寺原、押出、十原)というものがあるくらい。「スリゾメ」とは表記されていないが、新野でも「スリイモをすって食べる」、あるいは「主人がとろろをすってえびす・大黒に供えてまつる」といった旧浪合村恩田の例くらいなのだ。石曽根は飯島町、押出や十原は旧南信濃村にあたり、上伊那南部から下伊那地域に限定されているような習俗に見えるが、実際のところ上伊那あたりでもそこそこ知られた習俗。なぜ芋をするのかについてまで語られた事例は少ないが、糸を引くようなものを食べて「長生き」になぞらえるというあたりはよく言われる。『長野県上伊那誌民俗篇上』の事例に見ると、「まむしに噛まれない」(伊那市天狗平)、「風をひかない」(高遠町山室)といったものが見られるものの少ない。前掲の『長野県史』の例を見ると、新野の事例に「御飯がすむと芋汁を戸間口の外に捨てる。こうすると悪い神が芋汁で滑って家の中に入らないようになるという。」ものがある。これはむしろコトヨウカに他の地域で行われる事例に等しい。

 さて、美容院さんは先代から「お客さんがスルっと滑り込むように…」と聞いていたという。そのため商売をする人たちの間で言われる「スリゾメ」だと思っていたらしい。なるほど人が滑り込むという意味で捉える考え方もあるのだろう。新野の例とは正反対である。魔除けとして芋汁を捉える地域が多くあるいっぽうで、呼び入れる意味で芋汁を捉える地域、というかマチの捉え方を垣間見てとても興味深く話を聞いた。

 もうひとつ、この「スリゾメ」に合わせてお頭付きの魚を食べるのだという。このあたりではイワシを食べるのだが、美容院さんの家では「石持」を食べるという。「イオンで売っていた」というので帰りによってみると、たしかに粕を詰めた石持が売られていた。ということはある程度石持を食べる人たちがいるということが解る。これまであまり聞きなれないような正月事例を耳にして、マチの中の年中行事をに興味を抱いた次第。

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