Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

注連縄作り

2017-12-24 23:55:18 | つぶやき

 喪中ということもあって正月を迎えるという雰囲気はない。あくまでも「喪中」という単語を介した言い訳かもしれないが。そういえば、父が亡くなったときに「葬儀」のことをいろいろ記した。あれからもう5年も経っているから、葬儀事情もだいぶ変わってきているようだ。どこの流行りかは知らないが、このあたりでも葬儀を先にしてその後に火葬をする事例が増えてきているという。その理由について妻は、今は葬儀を早い時間にして、その後直会の代わりに昼食を出し、組合の人たちもそれでお開きにしてもらうのだという。その後火葬をしてきて、近親者のみで直会をするのだと。すると直会の出席者が確実に勘定できて無駄がないのだという。義母の時も、母の時も、これまで通りの葬儀だったが、直会の席を何人分用意するかはあくまでも想定。とりわけ上伊那のように昼食も出して直会も行うという地域では、無駄に用意してしまうことも少なくない。母の葬儀の際は、亡くなってから葬儀までの期間が短かったこともあった上に、葬儀の告知が新聞の休刊日だったため遅くなった。そのせいか会葬者が予想したより少なかった。余ったものは直会に来ていただいた方たちにたくさん持って帰っていただいた。それはそれで良いのだが、主旨から求めれば無駄に違いない。

 ということでこの年末は正月準備をしなくても良いから気楽だ。それを埋め合わせるように生業も、趣味から発展した作業も積み重なって年が越せるかどうかの相変わらず惨めな日々を送っている。喪中だから注連縄とは無縁なはずなのだが、こういうときに限って自治会の祭典当番が回ってくる。今日は地域にある神社の正月を控えての清掃と注連縄作りだった。父の時にも同じような注連縄作りがあって、「喪中だけれどやっていいですか」と聞いたことがあった。口を合わせたように「四十九日を過ぎていればいいんじゃない」と言われ、注連縄作りに参加したことがあったが、今年は3人もの身内を見送っている。けっこう重い喪中なのたが、隣組単位で当番が回ってきて、わたしは今年組長だ。わたしが参加しないわけにはいかないので、もちろん率先して作業に手を出す。「神様が嫌うんじゃないか」なんていう間抜けなことを口にしながら神社拝殿に掲げる最も長い注連縄を作り、さまざまなところに掲げる注連縄も用意した。拝殿内の神殿に掛ける注連縄もでき上がったものを取り付けたのはわたしだ。「気にしなければ良いこと」と言われるまでもなく、始まればそんな意識もなくなっていた。この注連縄を作った当番が元旦祭の準備をするものと決められていて、新年早々午前5時には神社に行くことになる。神事には組長が参列するのだと言われたが、さすがに控えた方がいいんではないかと思い、一緒に注連縄作りをした別の隣組長さんに神事への参列をお譲りした。

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