Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

それぞれの“見送り”

2017-12-23 23:46:21 | ひとから学ぶ

 中学時代の友人の父が亡くなった。葬儀のある明日は、自治会の行事があって会葬できない。「今日行って線香をあげてこよう」、そう思って彼の実家に行くが葬儀の表示などなく、その家にいるとはとても考えられなかった。結婚後に建てた家だろうか、そう思って同じ町内にある家に行ってみると奥さんが出かけるところだった。声を掛けるとこれから通夜に向かうという。わたしの義母もそうだったが、通夜は葬儀場で行うという。彼は後継だったが、事情があって家には入らなかった。とはいえ彼は喪主をつとめたし、新聞に掲載された住所は実家だった。近隣の方たちも対応に困っただろう。奥さん曰く、もう5年ほど施設に入っていたという。痴呆が進んでいたというから、頻繁に施設を訪ねることもなかっただろう。「お母さんは…」と聞くと、やはり痴呆が始まって施設通いの介護状態だというが、彼ら夫婦が看ているという様子でもない。実家も空家のような状態なんだろうか。

 義父や義母をこの1年で見送ったが、その度に妻とは介護の話をした。もちろん実母を見送った際にも…。もはや子どもたちが親を見送る時代ではなくなった。今後介護を受けられる人々は裕福な人たちだけだろうと言われる。しかし、今ならお金でなんとかなっている。介護三昧で親に尽くした妻や義弟のようなケースはそう多くはないのだろう。そう思うと、母は施設に入っていたものの、痴呆もなく息子であるわたしに昔と変わらず口うるさく人への気遣いを口にした。急だったこともあって、兄も、孫たちも、亡くなるまでほとんど施設に顔など見せなくなっていたが、それでもまだ幸せな旅立ちだったのかもしれない、と、友人の父の訃報に思った。長生きが必ずしも幸せではない時代に至って、こんなはずではなかった、と多くの高齢者が感じているかもしれないが、もはやだれしも導かれる現実世界だ。

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