心の弱い人間が救いを求めて宗教にのめりこむと思ったら大間違いである。運がよくなるように神頼みすると思ったら大間違いである。
心の弱い人間が宗教にのめりこもうとしても、のめりこめないはずである。もしのめりこめたら、その時点で、その人間は心が弱いとは言えない。どこかのタイミングで心が強くなったのである。
運がよくなるように神頼みする宗教は日本の神道的な考えである。または邪教である。確率で決まる偶然に絶対神の力が及ぶと思えない。そんなはずがない。もしそんな宗旨だとしたら、やはり邪教であろう。
一定の教えがあって、そこに沿って意志を強く持って難事にあたり、誘惑をはねる。何かに誓って心を強めてゆくのが宗教の正しい形である。
そうであるとしたら、葬儀の時や法事の時にだけ姿を現す宗教は何なのか。いま、それを深く考えている。
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