PowerGun ブログ別館

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感想を書く側の資質(上)

2005-09-29 19:08:24 | 小説、創作文芸関連
 小説を――否、あらゆる創作物は、それを造って公表すると、大抵の場合『感想』或いは『批評』がつきます。
 こればっかりはどんな状態でも(プロだろうがアマだろうが)異論を挟むことは出来ないと思います。うちのサイトでも、本館(PowerGun)で公表されている小説に対して、少ないながらも(本当に少ないんだよ……泣)感想や批評はついていますから。

 本館の『創作概論』のところでも書いてはいますが、感想や批評はどんなものであれ、その作家の技術力や構成能力などの向上に役立ちます。
 これは、作者だけではなく、読者にも言えることです。
 真剣に書いた感想や批評というのは、感想を書く側にとっても、文章力や構成力の向上に役立ちます。


 ところが最近では、その事をあまり重視していないような感想や批評を、所々で見ることができるようになりました。ただ自分の作品に感想をつけてもらいたいばっかりに、さしさわりのない堤燈感想を書く人や、ただ自分の意見を押し付けたいだけの人、無自覚な誹謗中傷……小説サイトを十件巡れば、7~8件くらいは、そんな感想ばっかりのサイトに出会う事が出来ます。

 そんな感想を書く人間に、まともな文章を書くことが出来るわけが無いと、個人的には思っています。
 感想を書くのにも構成能力が必要ですし、何より、その作品の真贋を見抜く能力が必要です。また、酷評する際には気遣いが必要ですし、良い作品にはきちんと良いと言える素直さも必要になります。
 そして、そういった能力は、一般社会でも十分に役立つものであると、個人的には思います。

 しかし、堤燈感想や中身の無い酷評には、どう考えてもそういったことを考えて書いているとは思えないものが多いです。
 つまり、まともな心構えの出来ていないまま、自分の作品に感想をつけてもらいたいがばかりの堤燈感想や、或いはストレス解消を目的としたような、全く中身の無い感想を書く人が、やたらと多くなりつつあります。

 こう言った感想は、正直止めて欲しいとすら思います。
(この項続く)
 ―BANG BANG BANG / JOE BANANAを聴きながら―