PowerGun ブログ別館

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どこに「こだわる」か

2005-09-27 20:26:15 | 小説、創作文芸関連
 まあ、このブログで何度も話題に挙げていますし、また、創作関連サイトではかなり有名なサイトなんで、知っている方も多いと思いますが。

ライトノベル作法研究所』さんで、今日付けでUPされた「テクニックの弊害を克服するには?」という記事が、極めていい記事でした。
 この記事の話については、うちのサイト(本館)でも何度か書いたものなんですが、簡単に要約すると、以下のような感じです。

 ・テクニックは重要であるが、そればかり重視するとオリジナリティが壊れる。
 ・しかし、オリジナリティばかりに目が向いても駄目。テクニックが無いものは駄作でしかない。
 ・オリジナリティとは勘違いされやすいもの。自分ではオリジナリティがあるつもりでも、他人から見れば既存の焼き写しにしか過ぎないことが多々ある。
 ・そのパラドックスを破る一つの方法に「こだわり」がある。

 確かにその通りだと思いましたね。

 しかし、ちょっと気になったのが一つだけありました。
 それは最後の項目――パラドックスを破るのに「こだわり」がある、という点です。
 個人的に思うのですが、上記の記事ではこの「こだわり」に関して「専門的知識の活用」という意味合いで書かれているような感じです。しかし、こういった「専門的知識」は、使い方を間違うと駄目駄目な作品を送り出す元になってしまいます。
 小説を読む人にとって、専門的知識などどうでもいい事です。確かに専門的知識によってリアリティを出す効果もありますが、このさじ加減を間違うと「うざい小説」を送り出す元になってしまいます。

 専門的知識に頼らずとも、十分なオリジナリティを出す事はできます。

 例えば「文体へのこだわり」というものもありますし、「心理描写へのこだわり」もあります。「キャラクターの感情のこだわり」というものもありますし「設定へのこだわり」というものも存在します。

 どれもこれも全て「こだわり」の話ですが、個人的にはこう言った場所でこそ「こだわる」べきだと思います。専門的知識は誰でも勉強すればすぐに身につきますし、そもそも「専門的知識」に「こだわって」いては、まともに作品を書けなくなると思います。

 この点も結構難しいのですが、少なくとも専門的知識に関しては、個人的にはあまり「こだわる」べきではないと思うのですが――どうでしょうか。

 ―ROCK IT / RADIORAMAを聴きながら―