PowerGun ブログ別館

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個人的に考える『推敲』の注意点

2005-10-13 18:33:02 | 小説、創作文芸関連
 推敲の注意点について、今日は語ってみたいと思います。
 なんだか最近、ブログの方向性を見失っているような気がしたので、今回は原点に回帰するという意味で(苦笑)。

 個人的に推敲で気をつけている点は『たった一つ』です。

「作品に矛盾するところは無いか?」

 これだけ気をつけます。
 これは、言ってみればたった一言でありながら、異常なほど重い項目です。というのも、この言葉の中には、無数の意味が含まれているからです。
「面白いかどうか?」とか、そんなところに目をかけているようでは駄目だと思います。推敲の段階になってそんな事を言っていては、自分の作品に自信が無いという事であり、そんな感じであるなら、そもそも『作品を書くべきでは無い』のです。

 ただ、いくら面白い作品であっても、読者の読む手を止めさせては話になりません。そのときに特に考えなければならないのは、「作品に矛盾が存在しないか?」という事です。
 一瞬でも矛盾を感じさせると、その時には読者は離れていると思って過言では無いです。どんな面白い作品でも、例外はありません。それを防ぐためにも、出来る限り作品の矛盾は、遡ってチェックするようにしましょう。

 一言で「作品にある矛盾」と言っても、様々なケースが存在します。
 例えば、

(1)一行の中に孕む矛盾
(2)作品のストーリーに孕む矛盾
(3)作品構造自体の完全な矛盾

 大まかに思いつく限りでは、こういったところでしょうか。細分化すると、もっと多くあるのですが。
(1)は簡単に言えば「よぼよぼの老人が背中を伸ばして歩いている」みたいな感じのものです。こう言うのは結構、誰にでも目につきます。
 
(2)は作品に齟齬があることです。例えば最初のほうで、世界的に大多数の人間が「魔法なんかあるわけない」という風に認識している社会の話で、最後のほうでいきなり刑事が「あなたの魔法がこの事件を引き起こしたのではないかと疑っている」云々を言われると、これはかなり致命的な打撃になります。

(3)は実際、小手先の推敲ではどうしようもないですね。例えば「殺し合いを描いて逆説的に人の命の大切さを訴える」作品の舞台が「全体主義国家」だったら、もうどうしようもないです。
 ぶっちゃけ言うと、バトル・ロワイヤルとか言う、勘違いした駄作の事です。
 前にも言ったと思うのですが「全体主義国家=国民の個性を消す」というのが、基本的な政策方針です。という事は、全体主義国家では人間の個性など出てきようも無いのです。それなのに人々に個性がありすぎる……というのは、作品全体を読んだときに「駄作」と烙印を押さなければなりません。
 こう言った舞台構造とテーマ(メッセージ)の齟齬があると、小手先の推敲ではどうする事もできません。完全に書き直しをするしかないですね。
 まあ、そんな作品を(初稿の時点でも)書くというのは、流石に『才能なし』といわざるを得ないのですが……。

 とりあえずは、こんなところでしょうか。

 ―C'MON C'MON C'MON / DEE DEE を聴きながら―