夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ノヴェライゼーションとは何か?

2012-06-17 | diary
小説とふつうの文章との違いは何かといえば一部分だけ取り出してしまえば何も変わらないとも言える。
ブログのあそこへ行った、こんなものを食べた、あの有名人を見かけたという記事をそのまま小説にしたって、別にかまわない。
ただそれが友人知己を超え、ニュース性を捨象しても読むに値するものなのかは別問題だが。

内容の問題はさておくとしても単なる断片ではなく、ストーリーの一部をなし、プロットの展開に何らか寄与しなければならないというのは誰でも考えるだろう。
ぼくはそれに加えて叙述に「小説らしさ」が必要だと思う。
「小説らしさ」とは何か。
1つにはジャンルを意識することだと思う。

音楽を例に取るとわかりやすいだろう。
ジャニソン、AKBソンには明らかに一定の規格・スペックがある。
メロディにも歌詞にも。
それをアニソンのような上の層のジャンルで言うと「らしさ」とか「っぽい」ということになる。
リスナーとの関係で言えば相互了解性ということか。
市場を相手にした産業としての均質性が求められるわけだ。

ぼくは文体のことを言っているのではない。
司馬遼太郎の文体でラノベを書くこともその逆も可能である。
それぞれの読者層がまずあってそれをターゲットにした商品としての小説が企画され、規格・スペックの1つとして文体が選ばれているのである。

実例でやってみるのがいちばんだ。
このブログの記事から任意の1つをノヴェライゼーションしてみよう。
『構造から見た「方丈記」』を可能な限り内容をドロップさせずに書き替えるとこうなる。

なんでこんな時に古文の授業なんて思い出すんだろう。
全くこんなシチュで。
杏子はそう思った。

高校2年の時の鴨川先生は脱線が多くて、古文嫌いの多い理系クラスでは人気があったが、一流国立大志望のほんの一握りの子は「またかよ」って顔をしていた。
「三大随筆と言えば枕草子、徒然草、それに方丈記だよな。でも、コラム集で好きな段だけを拾い読みすればいい枕や徒然と違って方丈記は通読しなくては真価がわかんない」
先生は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」と節をつけて暗唱しながら、黒板に3つのタイトルを書いて、
「方丈記を通読したことのあるやついるか?」とみんなを見回す。
渋々という顔をしながらマミが手を挙げる。
もちろんみなの「さすがだな」という反応は織り込み済みである。
「ほお、どうだった?」
「どうって…流麗な文章とかリアルな描写とかがすばらしいって言われてますけど、あたしには鴨長明の構成力って見事だなって思いました」
「『あったしには』ねぇ」という男子の冷やかしのささやきが聞こえる。
「どういうふうに?」
「だってあれじゃないですか。5つの部分がバランスよく、しかもシンメトリカルになってて…」

ここでマミが説明したことを我々なりに敷衍するとこうなる。
① 人生の無常と有為転変の世相を説くプロローグ(約2ページ)
② 大火、辻風、遷都、飢餓、地震などを年代順に記した段(約16ページ)
③ 自分自身の生活について、50歳で出家し、大原で5年を過ごした後、日野山で方丈の庵を結ぶに至った段(約8ページ)
④ 日野の生活を顧み、都の人びとの逝去、災害を耳にしながら草庵の平安を自賛する段(約5ページ)
⑤ 余命幾許もないのに閑居に執着するのは仏の教えに背く妄執ではないかと答えのないまま終わるエピローグ(約2ページ)」
すなわち、無常というテーマを年代記的な事実で展開する前半(①~②)と、それを自分自身の出家と隠遁生活の動機・理由とするという後半(③~⑤)からなる構造が明確であり、その分量もバランスの取れたものになっている、そんな意味のことをマミは言おうとしたのである。

「なるほどさすがだな。授業が2回分くらい早くなったよ」
杏子は「マミって時間操作の魔法あったっけ」なんてことを考えていた。
「付け加えて言うとだ、自らの出家・隠遁の理由を説明し、正当化するために、普遍的・哲学的な原理や社会的・歴史的な事実で裏づけしてるんだ。まあ、意地悪な言い方だけどな。それがわざとらしくなく、説得力を持つのはこの構造によるところが大きいってことだ」
そっか、引きこもりの理屈ってことね。

先生は目線を落として自分の中を見るような目つきをして、顔を上げると明るい表情で言った。
「随筆っていうのは多かれ、少なかれ自己正当化や自慢話じゃないかって思うんだが…みんなは枕草子と徒然草のどっちが好きだ?」
枕草子の方が圧倒的に多かった。もちろんどっちにも手を挙げない生徒はいる。
「なぜそうなのかな。えっと、美樹は?」
「いい感覚してるなって思うからです。付き合いたいタイプじゃないですけど」
教室の雰囲気がやわらかくなってるから、美樹も軽口を叩きやすいようだ。
「紫式部の方がもっと嫌かも」とほむらがぼそっとつぶやく。
「じゃあ、上条はなぜ徒然草が好きなんだ?」
「…モノの見方が深いじゃないですか。登るより降りる方がむずかしいってよく思い出します」
「そうか、おまえでもそう思うか」
「はい。ヴァイオリンを人前で弾く時とかも…」
さやかがちらっと視てうなずいている。
「みんなの言うとおりなんだが、そう思わされてるのかもしれない。少なくとも作品の鑑賞の時には作者の意図、企みは何かって考えておくことは大事じゃないかな。…それで、方丈記はどうなるのか少し考えてみてくれ」

「まだ習ってないのにむちゃぶりだよ」という声があちこちで挙がるが、先生はにこにこ笑うだけだった。
わからなくても、知らなくても答えなければいけない時はいくらでもある。
世の中ってそういうものだ。
人生ってむちゃぶりばかりだ。

もちろん先生はマミを当てたりしない。
でも、よりにもよってまどかがこんなことを言ったのは意外だった。
「鴨長明さんって人生の達人ねーって感心してもらいたがってるみたいです」
それだけ言うと真っ赤な顔をしてすとんと座った。

我々は実際の長明の人生とそれへの態度を見てみることにしよう。
彼は下賀茂神社の神職の子として生まれながら早くに孤児となった。それだけに和歌や琵琶の才を足掛かりにして出世を願いもし、千載集に1首入集したのを「いみじき面目なり」と大喜びもしたのだろう。
にもかかわらず、同族の反対で下賀茂神社の摂社の禰宜に就くこともかなわなかったのが、ショックだったのか、拗ね者的な性格のなせるわざか、後鳥羽院の好意的な計らいも無視して隠遁してしまったのだ。
さらに、方丈記にも自伝的な記述はわずかしかなく、父方の祖母の家を継ぐはずだったのが、「其の後、縁欠けて」30歳余りで「わが心と一つの庵をむすぶ」草庵生活に入ったとか、「折々のたがひめ、おのづから短き運をさとりぬ。すなはち、五十の春を迎えて、家を出て世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官禄あらず、何に付けてか執をとどめん」と出家した動機をあっさりと述べるだけである。
「たがひめ」不本意なことや運のなさに対するうらみつらみをくどくど書くわけでもなく、天災人災を見て人生の無常を感じたから出家・隠遁したとありがちな説明するわけでもない。
あくまで客観的・一般的に「すべて世の中のありにくく、わが身とすみかとのはかなくあだなるさま、又かくのごとし」とか、「世にしたがへば、身苦し。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしも此の身を宿し、たまゆらも心をやすむべき」と述べるだけである。
しかし、これらの叙述のすぐ後に自らの出家・隠遁が語られている。
人生の達人と見せたがっていると、まどかが見抜いたのは異能の表れだったのだ。

ちょっと驚いたような顔をした先生は視線をわずかに泳がせて、
「確かにそのとおりだ。人生の辛酸をストレートに書くようじゃ達人じゃない。どこまで書いて、どこからは書かないで、それをどう構成するか。そこが秘訣だな。…単なる孤独自慢・貧乏自慢になりそうな話を最後でそれさえも妄執として相対化してるわけだ。オチの付け方も並みの随筆と違う」とまるで自分が鴨長明みたいにチョークの粉を払いながら言った。

先走った先生の話はよくわからなかったけれど、どんなつらいことも、楽しいことも妄執かぁ、相対化かぁと窓の外を眺めながら杏子は思った。
その時に見たポプラが、今は植木鉢からあふれそうに伸びきった幸福の木に変わっただけなのかもしれない。


どうだろう。「小説らしい」ものだっただろうか。
やってみてわかったのは、いわゆる三人称体(客観的視点)が必須だということだ。
一人称体が不自由と言うより、内容が主人公のキャラを規定してしまうからだ。杏子が国文科の生徒になっては困る。
とは言え、いちいち杏子はこう思ったとか、杏子にはこう見えたとか断らずに彼女の視点(主観)で書いている部分が多い。
他の例えばまどかの主観を入れてもいいが、同じチャプターでこれをやると主人公への共感が損なわれ、混乱を招くだろう。

次に全部まとめて先生の講義にしてもいいが、それでは「小説らしく」ない。
論述的な部分は「我々」という話者を出したけれど、司馬の小説は歴史評論の部分が歴史好きの中高年という市場に訴えているわけだ。
つまり視点や話者のレヴェル(層)を操作することで、取り込める内容の範囲が変わる。
まだまだ言うことはあるが、今はこれくらいにしておこう。

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