またまた、戦争映画だ。今度の舞台は、日本兵が玉砕した、あの硫黄島。
米国・日本双方からの視点で描かれ、「大作」なのだそうな。
幾たびも指摘してきたように、熱しやすく同化しやすい国民性が、「国のために殉ずる」などという、愚かな感情移入の引き金にならねばいいのだが。
制作サイドが、どんなに情に訴え、義理を説こうと、私は、国家権力の発動を決して許さない。
日本兵も米兵も問うつもりなぞないが、自分の意思に背いて、「戦闘」という強制殺戮を強いられ、あまつさえ、殺される側にたたされるという、理不尽。
所詮は「国のため」に死ぬのであって、「国民」や「家族」のためでは決してないのだ。相手を殺すこともさることながら、自分が死に直面している図を描いてみるがいい。戦争はそういう、殺し合いの現場なのだ。
古来、戦争・戦闘は映像化しやすいものらしいが、ここ数年の「戦争モノ」大作には、眉をひそめざるを得ない。
庶民が喜ぶ、そのスジの映画には極めて厳格な「映倫」さん。昨今の戦争映画には異論はないのですかい?
まさか、おたくまで、政府の介入で、「戦争」への、国民の意識を恣意的に変える手伝いをなさっているんじゃないでしょうね。
米国・日本双方からの視点で描かれ、「大作」なのだそうな。
幾たびも指摘してきたように、熱しやすく同化しやすい国民性が、「国のために殉ずる」などという、愚かな感情移入の引き金にならねばいいのだが。
制作サイドが、どんなに情に訴え、義理を説こうと、私は、国家権力の発動を決して許さない。
日本兵も米兵も問うつもりなぞないが、自分の意思に背いて、「戦闘」という強制殺戮を強いられ、あまつさえ、殺される側にたたされるという、理不尽。
所詮は「国のため」に死ぬのであって、「国民」や「家族」のためでは決してないのだ。相手を殺すこともさることながら、自分が死に直面している図を描いてみるがいい。戦争はそういう、殺し合いの現場なのだ。
古来、戦争・戦闘は映像化しやすいものらしいが、ここ数年の「戦争モノ」大作には、眉をひそめざるを得ない。
庶民が喜ぶ、そのスジの映画には極めて厳格な「映倫」さん。昨今の戦争映画には異論はないのですかい?
まさか、おたくまで、政府の介入で、「戦争」への、国民の意識を恣意的に変える手伝いをなさっているんじゃないでしょうね。