This Is The Way I Am

ただし。が、気まぐれに、日常にて考えていることを綴ってみます。

無になれる場所

2011年09月22日 22時45分32秒 | Weblog
重いことを書いているからと言って、
別に落ち込んでいるわけではなく。
ただただ楽しいことと同じように、
難しいことや真面目なことを、
考えている毎日です。

たった3秒さえあれば、
あれこれ想いを巡らせて、
自分なりに答えを編み出せる。

いつかは悲しみや寂しさや、
悔しさや怒りなどを捨て去って、
ただただひたすらに、
前向きに明るく生きていけたら、と。
そう願ったこともあったけれど。

そんなことよりは、むしろ、
感じたいように感じて、
考えたいように考えて、
自分の生き方を見つけていく方が、
僕にとっては健全で生き甲斐があると、
そんな風に思うようになりました。



それでも何も得たくない時はあって、
そういう時は、ここに行きたい。

横浜大桟橋より。
みなとみらいを見ると、心が落ち着くね。



ってしみじみと書いても、
今日行ったわけじゃないけど。

罪ね。

2011年09月22日 20時14分03秒 | Weblog
人は見たいように見るもの。
聞きたいように聞いては、
感じたいように感じたりして。
世界に確かなものを抱こうとする。
自分ありきで。


それはあまりに当たり前なことで、
否定したりなんかしない。
誰だって同じ境遇に、
産み落とされたんだから。


だけど、ただ、
宛てがわれた衣裳は小さすぎて、
着る意味さえも分からなかった。


言うはずのない台詞を与えられて、
するはずのない仕草を頼まれて。


演じることには疲れたの。
ありのまま、の体現さえも虚しくて。


納得のいくものに理屈なんてなくて、
感じるは純粋な一致感。


疑うことを減らしていくには、
信じることを増やすしかない。


回数や頻度ではなく濃度で、
数値を上げていけたらね。


多角から事象を見てみれば、
ふと出逢って交差する視線。
その先に映したものは、
すべては自身で選び撰んだもの。


真実を探して何になる?
結局手に入るは自分の想いと、
解釈の名の元に広がる世界観。


それで十分だったはずなのにね、