コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

人生 悩みは生きている証・・・

2016-02-13 | Weblog
   que sera sera ケ・セラ・セラ


自分学のアピールは小休止して、ふと思い出したことを。
実は私めyoーサン、カウンセリングや相談活動を30年余してきました。新聞(福井新聞など地元紙)の人生相談の回答者なども務めて来ました。(人気回答者でしたよ)
福井市内に細やかなカウンセリングルーム「コミュニケルーム」を持っていました。ある日のこと、ひとりのご婦人のカウンセリングが終わって、私がお茶を淹れていたとき、彼女は徐に「なぜ、このように悩むのでしょうか」と自問するように言われました。私も徐に(w)「生きているからでしょう・・・」って応えました。彼女、にっこりして「生きている証なんですねぇ」と。
人間、本当に十人十色、同じような問題であっても、ある人は深刻に悩み、ある人はさほど意に介さないということがよくあります。つまり悩むから悩みになるのです。悩みも自分の所有物です。悩むことは必要です。だけど悩み過ぎはいけません。


閑話休題
que sera sera ケセラセラという歌があります。
そうです。ヒッチコック作品「知りすぎていた男」の主題歌です。あのドリス・デイが歌っていましたね。私もよく口遊みます。人生の悩みに向かうとき、この曲は大きな示唆を与えてくれます。
かつて、私のオリジナル講座「子育て自分学」の中にも取り上げました。

子どもとお母さんの会話として、とても素晴らしいと思ったからです。


本当にケセラセラって大事な事なんです。↑画像のレジュメに私が書いています。
要は受け止め方の問題なんですね。もちろん言葉の使い方もあります。肯定的な捉え方、或いは表現の方法にもよるのです。
今度の「自分学講座」でも、お話する予定です。ふと思ったことをちょっと・・・。