日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

内田良平『支那観』六 対支政策の錯誤 〔其野生悪癖を矯正する如きは益なき・・・。〕

2020-09-10 10:12:34 | 内田良平『支那観』


         

   内田良平「支那観」

       

 

 

 

六 對支政策の錯誤 

 列国支那分割の趨勢は此の如し。
即ち厖然たる四千二百萬方哩の老大國に向って、
列強は或は武力的蠶食の端を肇めたるあり、
或は經濟的分割の實を啓きたるあり、
此時に當り、
我帝國にして其の趨勢に反抗し依然として舊來の國是たる支那の領土保全主義を膠守せんとす、
是豈落後の花を賞翫せんとするの愚に類せらんや。

 仍て思ふに我が謂ゆる支那保全主義なるものは、
支那の國民性と衲鑿相容れさる者なり、
故に支那の國民は我帝國の屡々彼に好意を表し、
或は之がめに強
露と戦を挑みは其革命の擧を暗助したるに對し、
却て恩に報ゆるに仇を以てし、自ら好んで減亡の境遇に陥りたるものにして、
支那の國民性と恰も好く適合すべき所のものは、

即ち列強の爲す所の知く、
冷頭冷血彼の存亡を以て彼自ら存亡するに任じ、
我は之に對して專ら高壓的手段を取り、
酷烈に我が勢力を扶植し、
嚴密に我が利益を戄取するに在るなり、
列強對支政策の着々功を収めむるに反して、
我帝国の爲す所一も其肯綮を得さるが如き観あるは、
職として其れ之に由るに非ずや、 

 我帝國は今にして東亞大政策の根本に反らざるへからず、
畢竟支那保全といふが如きも、
東亞自防の一策に過ぎるを以て、
我國防の大計を忘れ、
光輝ある日露戦爭の歴史を破却し、
我が一等強国たる位地を拠棄し、
消極退守-、遠く祖宗の謨訓に背き、
近く先覺の遣謀を無視し、
徒らに衰亡腐朽の隣園に對して情死的犠牲となるが如きは、
是本を忘れ末を逐ふなり、吾人もとより支那領土の分割を好まず、

然れども此事や、之を我が光輝ある歴史に照し、
之を皇祖皇宗の遺訓鴻謨に照し、
之を世界的竸爭の大勢に照らし、
之を東亞に於ける地形に照し、
之を日本民族發展の現在及將来に炤し、
之を一等強國の位地に照し、
此の如くにして左石逢源前後扞格なきにあらざれば、
以て動かすべからざるの規準となすに足らず。

 而し
て列國支那分割の趨勢彼が如く、
支那国民性の恃むに足らさる此く如きに當り、
我帝國獨り言詮に墜ち自縄自縛進む能はず又退く能はざるがき、
其陋寧ろ一笑に價せさるに非ずや、

 吾人を以て観れば、支那は寧ろ不保全を以て保全し得らるべきなり、
我帝國にして能く積極進取大に力を東亜の大政策に用い、
以て永遠に世界の覇者たる地位を喪はざらしめば、
支那國民の騙詐術数も亦た再び之を弄するの餘地なく、
彼等は必ず没有法子の一語を以て、
我帝国の爲さんと欲する所に屈従すべし、
  
實に支那の
國民は強に阿ねり弱を凌ぎ、
一たび強者に逢へば彼等は絶叫して沒有法子の一語を凝するのみ、
列強の高壓的對支政策は皆能く箇中の消息に通ずるものなり、
故に我帝國をして亦た彼等の國民性に適合せる此の高壓的政策を取らしめば、
是に於て乎、
始めて能く其國民の無謀なる領土の割譲若くは利權の交附を掣肘し得べく、
支那は即ち不保全を以て保全せらるるに至らむ、 

 語に曰く父嚴なれば子孝なりと、

 對支政策は一面に於て高壓手段を必要とすると共に
又た能く支那の國民性に從って能く之を駕馭するの術を講ぜざるべからず、
而して是れ亦た列強の熟知する所にして、
此術に依らば、支那人は當に箪食壺槳して我を歡迎すべく、
帝國の東亞大政策を行ふに當り、萬に一矢なきを保すべきなり。

 従我帝國の支那に對する方針は
其根本義を謬りたるのみならず手段も亦た大に不可なるものあり、
此故に帝國は支那の保全に努め、
支那人の歡心を得るに汲々たりしも彼等は毫も之を徳とせざりしなり、
然らば支那人に對する手段とは何ぞや、

蓋し支那人は其先天的性格に於て、
極めて千渉を嫌ふの国民にして、
被等の常言にも薬多ければ病甚しといひ、
水を打てば魚頭痛むと稱す、

然るに帝國の被等を待つや、
彼等をして日
本化せしめざれば己まざるの概あり、
世に似我蜂と稱する蜂あり、螟蛉の子を取り来って、
必ず其の己れに似んことを求む、
帝国の爲す所恰も之に類す、

而して此の我蜂主義は支那人をして帝国を嫌悪して
他の列強に倚僻せしむる所以にして
列強の支那人に對する政策は決して帝國の如きものに非ざなり、
列強は決して一々支那人の行為に立人ることなく、
たとひ其行爲が文明的ならざるも、
順然として其爲す所に放任するなり、

たとひ其行為が道徳的ならざるも亦た順熱として其爲す所に放任するなり、
たとひ其行為が法津的ならざるも、
亦た順熱として其爲す所に放任するなり、
列強の支那人に對する政策は、
彼等の生命財産を保護するに過ぎず、

決して其自國の人民を津すると一様なる法津の制裁を加ふることなきなり、
支那人は支那人として之を待ち、
決して其野性悪癖を矯正するが如きことをなさるなり、
支都人の悦んで其下に集合する所以は、
實に此の冷淡不干渉の態度に在るなり、

 昔は支那の哲人莊周、
人の己を以て他を律せんとする者を嘲りて曰く、
毛嬙麗姫は人の美とする所たるも、
魚之を見ば深く入らむ、
鳥之を見ば高く飛ばむ、
鹿之を見ば快く驟らむと、
是れ物各々其性を異にするをいふなり、
支那人の如き、帝王本位に非ず、國土本位にあらす、
本来個人本位にして、
個人の利福の外、其眼中更に何物もなきの國民に對し、
帝國従来の執る所の如く、
必ず似我蜂主義を以て之を律せんとせば、
彼等の深く入り、
高く飛び、快く驟らざんことを求むるも、
固より得べからざるなり、
支那人を悦服せしむるのは術は、
勧告せず、命令せず、禁止せず、
彼等の行く所に行かしめ、
彼等の止まる所に止らしめ、
唯だ彼等個人の生命財産を保護するに在るなり、
此くの如くんば、彼等は國を擧げて我に服従すべし、
即ち一面高壓的手段を以て、
彼等の政治社會を威服し
一面放任主義の下に彼等の農工商社會を保護せば、
支那を駕馭するは、掌を反すよりも更に容易たるべく、
獨り對支那政策の此に出でざるべからざるのみならず、
我が東亜萬年の大政策も亦た此くの如くにして始めて完璧と稱すべきなり。

 

 予三回の戰役に依り、支那人の統治状況を概見するに、
軍制の下に怨聲なくして、
民政の下に憤言多気を知れり、
彼れ支那人の、古来萬威一恩を以て統治せられたるは、
忽にして恩に慣れ、
命令を遵奉せざるの性質を具せるが為なり、
我兄の所謂高壓手段なるもの、蓋し此意義に外ならず、

我兄嘗て予等数人と、支那留学生を集めて時事を談笑ぜしことあり、
當時山西地方土匪頻發し、良民殆ど其堵に安んぜず、
予先づ其留学生等に向て其平定方法を質せしに、
彼ら皆な今數句を出でずして自ら鎮静せむとて平然たり、
予怪訝に堪へず、更に進んで其事由を質せしに、
冷然として謂へり、民衆の財物已に竭れは、
匪類亦た自ら散するなり、何ぞ必ずしも武を用ふるの要あらむ哉と。

我兄予等と呆然たること之に久ふせり、
彼ら固より民治の何物たるを解せず、
習慣の久しき、放漫其性を成せる是の如し、
之を帝國人民と同型に律せむと擬するが如きは、
狗子に向って人語を誨ゆるの愚のみ。   
 
       (權藤成卿)


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