内田良平「支那観」
五 列國支那分割の趨勢
事實に就いていへば、我帝国を除き、
他の列強の支那に對する從來の趨勢は悉く皆保全の名を藉りて分割の實を行ふものなり。
或は割讓若くは租借の名を以て其領土を占領するの政治的叡食主義あり、
或は鐵道若くは借款を利用して特種の利益を壟断するの經済的蠶食王義ありと雖も、
要するに其手段の如き唯だ鳥の雌雄たるのみ、
若し靜かにその施設の跡に就いて之を窺へば、
何れも皆兩者併進併行して、
敢て或は他に後れざらんことを期せざるはなし。
請ふ左に聊か其趨勢を畧述せむ。
一 露国
日清戦争の後、族順大連灣を租借し、
東清鐡道を敷設し、
以て滿洲一帯の地を取り之を自己の勢力下に置かんとせる露国の企劃は、
日露戦役の一敗闕によって一旦悉く破壊せられたりと雖も、
露國は毫も其素志を届することなく、
一面には西比利亞鐡道の複線工事並に墨龍江鐵道の敷設を進捗し、
一面には蒙古新疆方面の経営に従事し支那革命の動乱起こるや、
露國は其機を逸せずして外蒙古の自治を提唱し
終に其保護權を獲得して此事を以て形式的に之を支那政府に交渉するに至れり。
露國の志は決して小ならず、
即ち北満州、伊犁、新疆、外蒙古に跨る
其面積三十一萬四千九百二十三方里の地を併呑せんと欲するのみならず、
機會若し許さば、支那の内地に侵入して、
直隷、山西、陝西、甘粛の諸省即ち河北一帯の地を以て、
自己の勢力圏内に置かずんは己まざらんとするなり。
即ち露國は現に支那借款の條件として佛白資本團の名義の下に
其南下の孔道たる中央亞細亞鐵道に連絡すべき支那の
甘肅省蘭州より陝西西安府、河南開封府を經て江蘇省海州に達すべき
謂ゆる海蘭鐵道敷設權を獲得し、
又た動亂中に於ける袁世凱の窮境を看破し
同じく佛白資本團の名義の下に
更に海蘭鐵道の中央たる潼關より山西太原府に達するの鐡道及び、
太原府より歸化城
若くは直隷張家口に達するの鐵道敷設權を獲得せんことを商議せりといふに非ずや。
北浦洲、伊犁、新外蒙古等の折れて露國の手中に入るべきは、
識者既に之を時日遅速の問題にして事實有無の問題にあらずとなせり、
是れ或は拒ぐべからざる事なるべし、
然れども山西、陝西の二省の利權にして、
果たして、露國の割取にせんを此二省の石油と石炭ととに富めるは、
實に世界第一の稱あり、
其無烟炭の如き、専門家の調査によれば、
之を世界に供給すること凡そ二百年にしてほ盡きざるべしといふ。
然らば露國の鷙翼をして此方面に舒びしめんことは、
我帝國の主義たる支那保全の前途に於て、
果して何の障礙を與るものとなすべきや否や、
况んや露國各種の經營は
明かに我帝国の国防的軍事計劃を超越するを以て標準となすものたることは
國際上公然の秘密たるに於てをや、
吾人之を思うて轉た寒心に耐へぎるなり。
二 英國
英國は我同盟国なり、又た其支那保全主義の主唱者たることも固よりなり、
然れども其の久しく廣東の一部
並びに支那の南方に勢力を植うることは掩ふべからぎるものあり、
且つ英國が支那をして他国に割讓せざることを約せしめたる揚子江流域一帯の地點、
即ち江江蘇、安徽、江西、湖南、湖北、河南の諸省は、
實に支那本部中の形勝を占め、
其水利四通八達して、
地味の膏腴、産物の豊饒、運輸の便、通商の隆、
他の各省に冠絶するのみならず、
英國の獲得せる鉄道利権を見れば、
滬甯鐡道一八三哩、
松滬鐡道十哩、
滬杭鐡道百十四哩、
唐河秦皇島鐵道九十六哩、
廣九鐡道百十哩、
津浦鐡道南段二五十哩等にして
要するに支那通商上重要の地點に向っては、
英國は他國をして一指を染めしめざるの概あり。
更に印度より縦貫する大鐡道をして之に聯絡せしめ
以て支那に於ける經濟的實權を其自國に攪取して動かぎらしめんとす。
而して英國は又た単に此の如き平和的施設の外日露戦爭の機に乘じて、
西蔵遠征の師を出し、
既にして革命動亂の起るや、
露國が外蒙古の自治を提唱したるに傚ひて、
英國も亦た西蔵の自治を提唱し、
終に英露協約に由りて、
西蔵を擧げて之を其勢力圏内に歸せしむるに至れり。
抑も西蔵は唐代吐審の地、地薄く氣寒く五穀登らず、
英國の必ず此地を爭ふもの、
固より通商貿易の利あるに非るヘし、
たゞ其地勢、北はホータンを控へ、
西は哈密高原を負ひ、
南はネボール、プータンに接し、
東は打箭路を經て、四川の雅州に達すべき天然の要害にして、
此に據れば露国南下の路を抛し印度緬甸の北門の鎖鑰たるに足るを以て、
英國は支那に於ける利権確保の背面計劃として、
此くの知き外見無用の地に戀々たるのみ。
西蔵は其路四川に通ぜり、
四川は支那最大の富源にして面積十六萬六千八百方哩、
人口六千七百七十一萬二千人百餘、平野悉く桑樹を以て蔽はれ、
山には諸種の鉱物を産し、
石油層の知きは其廣さ方二十五萬吉米に及び、
而して揚子江の上游に當り、緬旬西蔵の咽を占む。
是れ英國の必ず閑却すべからざるもの、
果然英佛協商の結果によりて
英國は佛國と共に四川鐵道の共同敷設をなすことを約せり。
其他英国が威海衞を以て其租借地となし居ることは、
ここに之を辨するの要なし。