何にもしていないはずの私がそんな言葉を吐いては申し訳ないですし、そんな言葉を吐くような立場でもないのですが…。
なんだか余裕が無いのです。
毎日毎日あっという間に過ぎて行きます。
スケジュール的にはどう見ても暇人なのですが…。
きっと、実際のスケジュールの余裕と、精神的な余裕とは別物なのでしょう。
ちょっと前に、「近頃読書しかしていない」と言うようなことを書いたような気がしますが、近頃は、読書すらできていません。
うーん。
一体、この余裕の無さの原因はなんなのだろう。
読むべき本は溜まる一方。
今日も、今日までに返さなければならない本をぎりぎりまで読んでいました。
この読書が、今の私にできることのすべてだと思うので、これが今の私の本業だと思うのですが、これがあまり進んでいない。
それではやるべきことができていないことになる。
そして趣味の領域。
これらはあくまで趣味なのですから、余裕が無い人がこなせる訳も無いのですが…。
モンコレでは100デック作成がちっとも進まず。
金曜会用のデックを作るので精一杯で、100デック用のデックの貯蓄はちっとも溜まりません。
4日からは次のネット大会が始まるので、このためのデックを作らなければならない。
囲碁も友人が来た時に打つのみ。
自分からネット碁を打ててはいない。
そしてゲーム。
これも友人が来た時にやるぐらい。
さらにこのblogも趣味なのでしょうか。
こちらはなんとか一日一記事は書いていますね。
書きたいことはまだまだたくさんあるのだけど、これも書き切れていません。
Kai-DさんからTrackback頂いているのにも、何か返信したいのですが、こちらも現在いろいろ調べているところ。
こう書くと、余裕が無いとか言いながら、結構いろいろやってるような気がします。
進みが遅いながらも読書をし、毎週の大会のためにモンコレのデックを作り、友人が訪ねてきた時には、囲碁を打ち、ゲームをする。
そして毎日ここに何か書き、ここに書くことのために、いろいろ調べたり、考えたりしている。
ああ。そうか。
私はいろいろやりすぎなんだな。
って、これは以前にも書いたことでした。
やはり何か切り捨てないと、あれもこれもできるわけが無い。
以前書いた段階で、それは分かっていたはずなのですが。
とりあえず、一番やらなければならないことは、読書のはず。
そう思うなら、これに集中すべきで、他は二の次のはず…。
毎週の大会や、ネット大会、そして100デックのために、早くデックをつくろうとか、
友人がいらしたときに、囲碁やゲームで、それなりに楽しめるように、囲碁やゲームを練習しておこうとか、
余計なことを考えるからいけないのかもしれない。
まず読書。
それが一通り終わってからほかの事を考えよう。
とりあえずは1日1冊。
これをノルマにしよう。
それが終わらないと、ほかの事はしない。
ほかの事をしたいなら、しっかりやるべきことをやってからにする。
うーん。
なんだか書いていることが、夏休みの小学生並ですね。
宿題がどうのこうのとか言ってるのと同レベルだ。
大会出れないとか、友人の相手ができないとか、100デック作成が遅れるとか、やっぱり気にしてしまう。
それは物事の優先順位が分かっていないということで…
精神が小学生並なのかもしれない。
それなら書いていることが小学生並なのも頷けるというものだ。
本当に忙しい人から見たら、「こいつは何を下らんことで悩んでいるのやら」と思うだろうな…。
なんだか余裕が無いのです。
毎日毎日あっという間に過ぎて行きます。
スケジュール的にはどう見ても暇人なのですが…。
きっと、実際のスケジュールの余裕と、精神的な余裕とは別物なのでしょう。
ちょっと前に、「近頃読書しかしていない」と言うようなことを書いたような気がしますが、近頃は、読書すらできていません。
うーん。
一体、この余裕の無さの原因はなんなのだろう。
読むべき本は溜まる一方。
今日も、今日までに返さなければならない本をぎりぎりまで読んでいました。
この読書が、今の私にできることのすべてだと思うので、これが今の私の本業だと思うのですが、これがあまり進んでいない。
それではやるべきことができていないことになる。
そして趣味の領域。
これらはあくまで趣味なのですから、余裕が無い人がこなせる訳も無いのですが…。
モンコレでは100デック作成がちっとも進まず。
金曜会用のデックを作るので精一杯で、100デック用のデックの貯蓄はちっとも溜まりません。
4日からは次のネット大会が始まるので、このためのデックを作らなければならない。
囲碁も友人が来た時に打つのみ。
自分からネット碁を打ててはいない。
そしてゲーム。
これも友人が来た時にやるぐらい。
さらにこのblogも趣味なのでしょうか。
こちらはなんとか一日一記事は書いていますね。
書きたいことはまだまだたくさんあるのだけど、これも書き切れていません。
Kai-DさんからTrackback頂いているのにも、何か返信したいのですが、こちらも現在いろいろ調べているところ。
こう書くと、余裕が無いとか言いながら、結構いろいろやってるような気がします。
進みが遅いながらも読書をし、毎週の大会のためにモンコレのデックを作り、友人が訪ねてきた時には、囲碁を打ち、ゲームをする。
そして毎日ここに何か書き、ここに書くことのために、いろいろ調べたり、考えたりしている。
ああ。そうか。
私はいろいろやりすぎなんだな。
って、これは以前にも書いたことでした。
やはり何か切り捨てないと、あれもこれもできるわけが無い。
以前書いた段階で、それは分かっていたはずなのですが。
とりあえず、一番やらなければならないことは、読書のはず。
そう思うなら、これに集中すべきで、他は二の次のはず…。
毎週の大会や、ネット大会、そして100デックのために、早くデックをつくろうとか、
友人がいらしたときに、囲碁やゲームで、それなりに楽しめるように、囲碁やゲームを練習しておこうとか、
余計なことを考えるからいけないのかもしれない。
まず読書。
それが一通り終わってからほかの事を考えよう。
とりあえずは1日1冊。
これをノルマにしよう。
それが終わらないと、ほかの事はしない。
ほかの事をしたいなら、しっかりやるべきことをやってからにする。
うーん。
なんだか書いていることが、夏休みの小学生並ですね。
宿題がどうのこうのとか言ってるのと同レベルだ。
大会出れないとか、友人の相手ができないとか、100デック作成が遅れるとか、やっぱり気にしてしまう。
それは物事の優先順位が分かっていないということで…
精神が小学生並なのかもしれない。
それなら書いていることが小学生並なのも頷けるというものだ。
本当に忙しい人から見たら、「こいつは何を下らんことで悩んでいるのやら」と思うだろうな…。
何事にも手を抜かず全力でやりすぎなんだろう。
良い意味で少しテキトーにやらないと、気疲れしてしまわないかな?
例えばネットのデックは、コモンドローン50枚のアニエスででるとかな。
も少しのんびりやってみようではないか。
遠征さきで、朝マックしながらのんびりコメントでした
どれもこれもで全部中途半端になっているのかもしれない。
こういうのを空回りというのか。
しかし、やるからにはそれなりの成績を残したいじゃないですか。
コモンドローンのアニエスにしても、
50枚すべてコモンドローンにするんではなくて、
それはそれでいろいろ工夫したくなるのが人情ってもので…。
人間は、「いくつかのこと」を同時に抱え込んでしまうものですからね。
私も、大学だったり、入試対策だったり、バイトに小説の構想に……。
と数え上げたらキリがないですしね。
だから、結局オンとオフの切り替えをどうするかでしょう。
それがちょっと落ち着くなり、羽目はずすなり、体動かすなり人それぞれだということで。
あとは、少しの開き直りかなー……。
「しょうがない」で切り捨てるなとはよく言われることですが、実際の精神衛生上はそう切り捨てたほうがいいこともあると。
私はそれが出来ない性質ですから苦労しているんですけどね。
ここからは蛇足。
トラックバックされたからと言って、トラックバックを返す義務なんてそんなにないと思うのですよ。
トラックバックの価値ってニュースソースとしての物じゃないかと考えてるわけで。
(この辺のシステム論結構ごちゃごちゃしてると思いますが)
だから、私としてはトラックバックありがとうございますというその意味自体が分からなかったりするのですね。
結局は、「その記事からどう考えるか」と言う問題になるわけで。
まあ、何が言いたいかって、流すなり放っておくなり、重く考える必要はないですよってことで。
所詮戯言ですからね。(苦笑)
えらく長文を書いてしまって失礼しました。
私も、Trackbackへの反応が絶対だと考えてはいません。
Trackbackは、結局の所、「参考にしましたよー」ということを知らせる道具でしかないのだと思っていますし。
ただ、「反応したい」という気持ちがあるにもかかわらず、それにちゃんと取り掛かれず、なかなか実現できないうちに、ただ時間が過ぎてしまうこの現実に、ちょっと焦っちゃってるだけなのです。
要はやはり優先順位。
抱えてしまった、あるいは、自ら抱え込んだ、また、抱えたい、様々な事項に、すべて同時に対応しきることは、一人の人間では不可能です。
だから、今何が大事かを考えて、ひとつづつ済ませていかなければならない。
今重要でなく、そしてできそうにもないことは、容赦なく切り捨てたり、適当に手を抜いていかないと、物事は進んでいかない。
この、物事の優先順位を決めるのが上手な人は、重要なことを優先的に片付けてしまって、残りの時間を、その重要でないこと(それは趣味であったりするのでしょうが)に回すことができる。
優先順位を決めるのが苦手な人は、重要でない事柄に時間を使いすぎてしまって、肝心な、今重要なことに使う時間が少なくなってしまい、中途半端になったり、上手くできなかったり。
そしてそのフォローにまた時間が必要になり、さらに余裕がなくなってしまう。
計画性…なのかなぁ。
オン・オフの切り替えと言うもの難しい問題です。
これは私が切り替えようのない生活をしているのも関わってくるかもしれない。
傍から見ると、すべてオフのような生活をしていますから…。
しかし、「すべてオフ」ってのは、見かたによると、「すべてオン」と同じともいえるのかもしれません。
例えば、今生きること、生き続けること自体が、その人の役割だとするなら、生きているすべての時間が「オン」だということになる。
その人が「オフ」の状態になるには、生きることを止めるしかない。
それとは違うにしても、はっきりとした「オン」の状態がわからない人は、同様に「オフ」の状態もわからない。
なにが「オン」でなにが「オフ」かわからない、わかるのは自分が今生きていることだけ。
そうなると、やはり、すべての時間が「オン」の時間と言うことになってしまう。
いや。
私の言ってることはいろいろ違うような気がします。
違うような気がするのだけど…。
違った答えしか知らないなら、違う答えで生きてみるしかない訳で…。
どうも自分で何言ってるのか、何を言いたいのか分からなくなってきた。
すでにKai-Dさんのコメントへの返信じゃなくなってる…。
オン・オフの2択で考えるから良くないのかな。
もっとファジーに、0~100のパーセンテージで考えてみたりした方がいいかもしれない。
いつもいつも100%で生きてると疲れる。
結局そういうことなのかな。
結局にもなんにもなっていないような気もするけど。