日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

高槻ええとこクイズラリー富田編(^^♪「富田の酒造り①清鶴」

2011年10月12日 17時34分29秒 | 三島地区の文化財

腰痛のため、整骨院へ…。
本日は安静に…。
チョッと無理をし過ぎたのでしょうか、ペースを落としなさいとのことなのでしょうか…。

今日の写真は、高槻ええとこクイズラリー富田編(^^♪第5設問場所「富田の酒造り①清鶴」です。

第5問 富田の酒造り①(清鶴:きよつる)
後の建物をご覧ください。実は建物のどこかに「富田石井」と書かれています。さて、どこに書かれているのでしょうか?
   ア.柱
  イ.瓦
  ウ.壁
  エ.窓

ここも、皆さん難解で苦労されているようですが、チョッと上の方を見て下さい。
四角い中に「冨」の文字が見えてきますヨ。

17世紀の中ごろに、隆盛をきわめた富田の酒造り。
当時の記録によると24軒もの造り酒屋があり、その中心に位置したのが、清水(紅屋)市郎右衛門です。
清水家は関ヶ原の戦いのときに、徳川軍に協力をした功績で、特権的な酒造りの免許(由緒株)や将軍御目見えも許されるようになりました。
この清水家の酒造株を中心に、良質の水と米がそろう富田の地において、酒造りが隆盛をむかえ、「富田酒」は江戸にも知られた銘酒となりました。

江戸時代中期以降は、池田・伊丹の酒造が盛んになり、さらに大消費地・江戸と上方を結んだ樽廻船などの海運に便利な灘五郷などに押され、徐々に生産量は縮小していきます。

清水家も江戸時代後期には酒造りをしなくなりますが、その伝統は受け継がれ、現在も清鶴酒造・寿酒造の2軒の造り酒屋によって富田の地酒が守られ続けています。

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

明日10月13日(辛丑かのとうし 先勝)はこんな日です。
「サツマイモの日」
 「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)」の「十三里」とはサツマイモの異名で、江戸から十三里(約52㎞)離れたところにある川越のサツマイモがおいしかったことから生まれた言葉です。
 そこから、埼玉県川越市の市民グループ川越いも友の会がサツマイモが旬でもある10月の、この日を記念日に制定しました。

●「引越しの日」
 引越専門協同組合連合会関東ブロック会が、組合の創立15周年を記念して 1989(平成元)年に制定しました。
 1868(明治元)年、明治天皇が京都御所から江戸城(現在の皇居)に入城されたのが10月13日であったことが、この日を選んだ理由とのこと。

●「豆の日」
 陰暦の9月13日には「十三夜」として名月に豆をお供えし、ゆでた豆を食べる「豆名月(まめめいげつ)」という風習があったことにちなみ全国豆類振興会が制定しました。
 日付は暦どうりの「十三夜」とすると毎年日付が大きく変動してしまうので、新暦の10月13日としました。
 豆類に関する普及活動などを行うそうです。

●「麻酔の日」
 1804年、華岡青州が世界で初めて全身麻酔による乳癌手術を成功させたことから、日本麻酔科学会が制定しました。

●「日蓮忌」
 鎌倉時代の僧で日蓮宗の開祖、日蓮の1282(弘安5)年の忌日。

●「曽根天満宮秋祭り 10月13日~14日 」
 「正月には帰らんでも、祭りには帰らな!」と言われる播州曽根の秋祭りです。
 豪華絢爛な屋台の練り合わせや、童子が馬に乗って宮入りする絵巻物さながらの「一つ物〔ひとつもの〕神事」、のぼりを立てた竹を男達が地面に叩きつけて割る「竹割」など勇壮・華麗で知られたいます。
 祭りの期間中一ツ物頭人には神様が憑依し、その子供が無意識に発する言葉を神の意志として受け取っていたといわれています。そのため一ツ物は馬に乗せたり、肩車をして地面に足をつけないように大切に扱われます。
 竹割は一ツ物の神事に付随して行われるもので、宵宮には高張提灯を、昼宮には大幟をつけて一ツ物の先を行きます。その役割は一ツ物の先導と露払い、また遠くからでも行列の位置がわかる目印の意味があります。
 曽根天満宮 兵庫県高砂市曽根町 TEL0794-47-0645 

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ「にほんブログ村」ランキング参加中です。



最新の画像もっと見る