今日の大阪、雨は上がったのですが、厚い雲に覆われ、肌寒い風が吹いています。
先日歩いた、高槻のええとこを紹介します。
それは高槻市津之江町1-27-1に鎮座する「筑紫津神社(つくしつじんじゃ)」です。
高槻市の観光案内には、
「素盞鳴尊(スサノオノミコト)が祀られている。
築紫からやってきた素盞鳴尊がこの地に泊まり旅の安全を祈願した。
素盞鳴尊を敬った土着住民が「津」を頂き道祖神に築紫津神社と命名して鎮守としたのが神社の始まり。
芥川の水に因む江をつけ周辺一帯を「津之江」と呼ぶ起源になった。
こじんまりした筑紫神社内には素盞鳴尊の娘にあたる市杵嶋姫を祀る神社や様々な碑がある。 」
と、ありました。
もちろん、神話の世界と現実の世界を同じに考えることはできないでしょう。
が、この神社と同じ「築紫津」という九州をあらわす名の港が、淀川近辺にあったそうなのです。
古代歌謡「催馬楽(さいばら)」 に
「難波の海 難波の海 漕ぎもて上る 小舟大船 筑紫津までに 今少い上れ 山崎までに」
難波から淀川を遡って、山崎までの手前に三島(高槻)があり、此処に筑紫津神社が鎮座していることは、まさにこのあたりが筑紫津だったのでしょう。
「津」とは古代の港のことで、その名前は、そこから出航する目的地をあらわすことが多いそうです。
かって、筑紫の地で「磐井(いわい)の乱」が勃発し、継体天皇がその討伐軍として送った主力部隊がかつての淀川べりにあった筑紫津から九州へと出航する、まさにその港だったのではなかったでしょうか。
その、水軍や海運に携わった海人の集落も「安満」の地名として今に残っています。
こんなロマンに思いを馳せながら太古の「難波の筑紫津」を歩いてみるのは楽しいものです。
ただ、「筑紫」と言う地名について、これを九州と断定するにはいささか疑問があります。
柳田国男の説に近い、「澪(みおつくし)」(杭を立てて水路の標識とした地点)の「ツクシ」も、『国史大辞典』の、「行き尽(ツク)くした地形」も、難波津の東の端、そして、川が浅くて水路標識に導かれる港が、「難波のツクシ(筑紫)津」ではなかったのでしょうか。
明日は「月光仮面の日」です。
1958(昭和33)年のこの日、ラジオ東京(現在のTBS)で国産テレビ映画ヒーローもの第1号である「月光仮面」の放映が開始されました。
翌年7月5日まで133話が放映されました。
白黒TVがやっと一般家庭に入ってきた時代です。
仮面ライダーの真似をして、風呂敷をマントにして遊ぶ光景があちこちで見られました。
また「鉄道ストの日」です。
1898(明治31)年、日本鉄道会社の機関士ら400人により日本初の鉄道ストライキが12日間に及んで実施されました。
その間、上野~青森の列車が運休するなど混乱しました。
さらに「クロスカントリーの日」です。
1977(昭和52)年、原野・森林等にコースを設定して走る競技・クロスカントリーの、統一ルールによる初めての大会がイギリスで開催されました。
そして「南国忌」です。
大衆作家・直木三十五(なおきさんじゅうご)の1934(昭和9)年の忌日です。
代表作の『南国太平記』から「南国忌」と呼ばれています。
翌1935年、直木三十五の友人だった作家で文芸春秋社長の菊池寛が、純文学の「芥川龍之介賞(芥川賞)」とともに、大衆文学の分野の新人に贈る賞として「直木三十五賞(直木賞)」を創設しました。
京都の上賀茂神社では「幸在祭(さんやれ祭)」があります。
上賀茂で古くより行われている今で云う成人祭です。上賀茂神社、摂社大田神社、田の神と山の神に15歳の元服を奉告します。
上賀茂地域の農家の元服(成人の)儀式で、男子十五歳になると「あがり」といい、里の仕事、祭礼、町内行事などで一人前の大人として扱われます。
「宿」は「あがり」の子供がいる講中の家を選ぶので毎年変わり、祭りに出る子供たちは前の日にこの宿に集まります。
祭りの当日「あがり」の子は大島紬の羽織、黒足袋に下駄履き、首に白襟巻きの姿で太鼓を打ち鳴らし、供物を持った大人、大将木とよぶ青木の幣をもつ十三歳未満の子を先頭に行列を仕立て、十四歳の少年が首から下げた鉦を鳴らし「おーめでとうござる」などと節をつけて囃し立て、山の神、大田神社、上賀茂神社へと練り歩き「あがり」を神様に奉告します。
上賀茂神社 京都市北区上賀茂本山339 Tel:075-781-0011
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主題歌も、サビの部分は、歌えそうですよ。
内容は、覚えてないですが・・・懐かしいです!
そうそう、ひょっこり、ひょうたん島とか、
ララミー牧場とか・・これは、私の祖母が見てました。
そして、「日本語のうまい、外人さんだね!」って言ってました。(笑)
水軍や海運に携わった海人の集落だったのですか?
と言うことは、あの弥生時代の土器や壺などは
その水軍の人達が使っていたのかも・・・?
<そして、「日本語のうまい、外人さんだね!」って言ってました。>
そうですね。そう思いますよ。
吹き替えの声が、顔のイメージとぴったりだから…。
今でも、同時通訳されているとき、「おぅ!あの人は、日本語が出来るんだ!上手い」思うときがあります。
私も、ララミー牧場も、見ていました。ロバート・フラーでしたか…?。
高槻の「安満」について詳しくはわかりませんが、「アマ」のつくところは、水軍、海運そして漁労民など海に関係する人々の集落と考えて間違いないと思います。
もちろん「尼」も同じです。
この集団を支配したのが「阿曇」氏です。
渥美、厚見、安積なども同じです。
また「海人」と「息長(おきなが)」一族とが繋がり、「息長」と神功皇后そして「応神」から「継体」へと連想されます。
それが、今城塚古墳に眠るであろう「継体天皇」なのです。