日々是好日 とっつあんの雑記帳

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初観音(^^♪「総持寺の観音さん」 観音の化身なのか童子があらわれ千日をかけて、この香木に刻んだのが本尊の千手観音菩薩像

2018年01月18日 14時09分05秒 | 歳時記

今日も少し寒さの緩んだ朝、晴れ 時々 曇り、最高気温14℃(+1)、洗濯指数70残念!厚手のものは乾きにくい、との予報。

朝から時々陽射しはあるものの、全般的には薄日が射している感じ、でも寒気が緩んでいるのか、それほど寒さを感じない北摂。

久しぶりに外に出て見ることに、団地の周りを1周し、近くのお店を2軒回って、体慣らしができた感じ、おそらく3000歩くらいと思っていたのですが、今まで使っていた歩数計が壊れ以前のを出してきたら計測は1000歩にもいってなかったです。今までの経験からそんなに少ないことはないのですが…。

今日の1枚の写真は、初観音と言うことで西国第二十二番札所総持寺のご本尊「十一面観音」です。

毎月18日は観音(観世音)菩薩の縁日で、一年最初の縁日は「初観音」と呼ばれています。
観世音菩薩は、大慈大悲で衆生を済度するのを本願とし、衆生の求めに応じて三十三身に身を現じると言われています。

総持寺は、補陀洛山(ふだらくさん)と号し、高野山真言宗に属します。
十一面観音を本尊とし、仁和2年(886)、藤原一門で中納言の要職にあった藤原山蔭が建て始め寛平2年(890)創建した寺で、延喜12年(912)に、山蔭の二男公利が寄進した梵鐘の銘に寺の略歴が書かれています。 (仁和4年2月(888)山蔭死去、子どもたちが完成)

総持寺の千手観音は亀に乗った観音様として有名で子育て観音・厄除け観音様ともよばれています。
平安時代、中納言藤原山蔭によって開かれました。
亀の恩返しによって開かれた総持寺のお話は、『今昔物語』『平家物語』や『源平盛衰記』などにも紹介されています。

総持寺の創建について「総持寺縁起絵巻」(総持寺蔵=和文、常稱寺=寛文)に次のように書かれています。
9世紀前半の承和のころ、藤原高房が九州大宰府の次官に任ぜられて彼地に赴く途中、茨木の穂積を通った時、漁民が大きい亀を捕らえて殺そうとしていました。
高房は哀れに思って「今日は観音さまの縁日だから…」と言って、漁師に自分の着物を与えその亀を助け川に逃がしてやりました。

その夜、淀川の船に泊まり、その翌日、幼子の山蔭が継母の策略で川に落とされ行方不明になりました。
嘆き悲しんだ高房は観音さまに「もし助けていただければ千手観音像を作って信仰しましょう」と祈ったところ、昨日助けた亀が山蔭を背に乗せて水中から浮かび上がってきました。

高房は感涙し、観音さまのご恩に感謝して観音像と寺の建立を発願し、大宰府に赴きました。
その後、遣唐使の大神御井(おおみわのみい)に中国で観音像を彫る白檀香木の入手を依頼しました。
しかし、香木は持ち出し禁止となっていたため、遣唐使は「高房卿の求めに応じて海に渡す」と記して東海に投げ入れました。

高房は寺院建立の志なかばで没しましたが、山蔭が父の寺院建立の遺志を継ぎました。
後に太宰府につとめていた山蔭が、海に投げ入れられた香木が海岸に流れ着いているのを見つけました。
太宰府の任を終えて京の都に帰る途中、茨木の地に来たところ香木が急に重くなったので、ここに寺院を建立することにし、大和・長谷寺の観音に造仏を祈願しました。
やがて、観音の化身なのか童子があらわれ千日をかけて、この香木に刻んだのが本尊の千手観音菩薩像と言われています。

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明日1月19日(辛亥 かのとい 友引)

●「のど自慢の日」
 1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始され、それを記念してNHKが制定しました。
 第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関でした。日本で初めての本格的な聴取者参加番組となりました。
 今でも12倍を超える人気長寿番組です。
 応募者の人気曲は「りんごの唄」「旅の夜風」「誰か故郷を思わざる」などだったそうです。
 この日とは別に、9月第2土曜日が「ファミリーカラオケの日」、
 10月17日が「カラオケ文化の日」となっています。

●「家庭消火器点検の日」
 消火器は一般住宅におけるもっとも手軽な初期消火設備。これをさらによく人々に知ってもらい、家庭での点検、火災発生時の使い方などの認識を高めてもらおうと社団法人・全国消防機器販売業協会が1991年10月に制定した日です。
 消火器は一般住宅におけるもっとも手軽な初期消火設備。これをさらによく人々に知ってもらい、家庭での点検、火災発生時の使い方などの認識を高めてもらおうと社団法人・全国消防機器販売業協会が1991年10月に制定した日です。

●毎月19日は「シュークリームの日」「トークの日」「食育の日」「共育の日」「熟カレーの日」です。

●「明惠上人忌(みょうえしょうにんき)」
 鎌倉時代の僧で華厳宗中興の祖・明惠上人の1232(寛喜4年)年の忌日です。享年59歳
 高山寺(右京区梅ヶ畑栂尾町)の開山堂での読経の後、その背後にある廟所にて焼香を行います。檀家の方の他、一般の方も焼香はできます。
 新興の浄土諸宗の進出阻止に意を尽くし、南都仏教の復興につとめました。
 明恵上人は19歳から40年間にわたって自身の夢を書き留めました。その稀有の記録は『夢記』として今に残されています。
 高山寺 京都市右京区梅ヶ畑栂尾町

●八坂神社境内・疫神社「疫神祭」
 八坂神社の境内にある疫神社の例祭で、無病息災・厄除け祈願の神事です。10時より行われる祭典の内容は、修祓、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌と通常の神事の形式であり、神事終了後に御神酒が振舞われます。
 疫神社には蘇民将来が祀られており、疫病を始めとする諸疫退散の神徳があるとされています。
 八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が南海を旅していた時に、巨旦将来に一晩泊めてもらえないかと頼みましたが断られ、弟の蘇民将来に迎えられ、粟餅でもてなされました。
 素戔嗚尊は蘇民に対してのお礼に、悪疫が流行しても茅の輪を腰に下げれば悪疫除けになると告げました。そのため、蘇民一家は無事であったという故事によるものです。
 八坂神社境内・疫神社 京都市東山区祇園町北側625

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