
夕食後のことである。
母が「蜜柑が食べたい」と言う。
父方の実家が蜜柑農家なので、葬儀の祭壇へのお供えとして
たくさんの伊予柑と八朔を戴いた。
父は腎不全を患ったことで大好きだった蜜柑が食べられなくなった。
一時は隠れて食べることもあったが、
とたんにカリウムの値が跳ね上がり、病院から警告を受けた。
葬儀社の方から祭壇に供える果物を用意するように言われたとき、
弟が「おやじの好きだった実家の蜜柑を頼もう」
と早速、父方の実家へ電話を入れてくれた。
その蜜柑を母が毎日「蜜柑が食べたい」と所望する。
甘い伊予柑は、すでに食べ尽くし、
皮が厚く年寄り一人で食べることが困難な八朔が残る。
歯の噛み合わせが悪く、嚥下に注意を要する母のために
皮と袋を取り除き、飲み込みやすい一口サイズの果肉まで小さくする必要がある。
食器の後片付けで手が離せない私は、
「今日は暑いからアイスで我慢してよ」と、つい面倒臭がる。
母は「蜜柑が食べたい」と譲らない。
頑固な母の態度に、私も意地悪を決め込んで
「忙しいんだから我儘を言わないでよ、ばぁちゃん」と返してしまう。
みるみる涙声になって「ばぁちゃん、ばぁちゃんって呼ばないで!」
と瞼に涙をいっぱい溜めて抗議する。
私は、何時頃から母のことを「ばぁちゃん」と呼ぶようになったのだろう?
帰郷して父母が「じいちゃん、ばぁちゃん」とお互いを呼び合っていたので、
私自身も、これに習ったような気がする。
でも母は、私にとって決して「祖母」ではない。
「あぁ、そうだよね…母(かぁ)さん」
洗い物の手を休めて、母のために八朔の皮を剥ぎ果肉を取り出し
皿に添えて差し出す。
涙を引っ込め嬉しそうに食べる母の姿は、幼い日の私自身の姿(叱られて食べる)と重なる。
「ごめんなさい、母さん」
-掲載した画像はGW初日に散歩に連れ出した八坂寺にて撮影-
母が「蜜柑が食べたい」と言う。
父方の実家が蜜柑農家なので、葬儀の祭壇へのお供えとして
たくさんの伊予柑と八朔を戴いた。
父は腎不全を患ったことで大好きだった蜜柑が食べられなくなった。
一時は隠れて食べることもあったが、
とたんにカリウムの値が跳ね上がり、病院から警告を受けた。
葬儀社の方から祭壇に供える果物を用意するように言われたとき、
弟が「おやじの好きだった実家の蜜柑を頼もう」
と早速、父方の実家へ電話を入れてくれた。
その蜜柑を母が毎日「蜜柑が食べたい」と所望する。
甘い伊予柑は、すでに食べ尽くし、
皮が厚く年寄り一人で食べることが困難な八朔が残る。
歯の噛み合わせが悪く、嚥下に注意を要する母のために
皮と袋を取り除き、飲み込みやすい一口サイズの果肉まで小さくする必要がある。
食器の後片付けで手が離せない私は、
「今日は暑いからアイスで我慢してよ」と、つい面倒臭がる。
母は「蜜柑が食べたい」と譲らない。
頑固な母の態度に、私も意地悪を決め込んで
「忙しいんだから我儘を言わないでよ、ばぁちゃん」と返してしまう。
みるみる涙声になって「ばぁちゃん、ばぁちゃんって呼ばないで!」
と瞼に涙をいっぱい溜めて抗議する。
私は、何時頃から母のことを「ばぁちゃん」と呼ぶようになったのだろう?
帰郷して父母が「じいちゃん、ばぁちゃん」とお互いを呼び合っていたので、
私自身も、これに習ったような気がする。
でも母は、私にとって決して「祖母」ではない。
「あぁ、そうだよね…母(かぁ)さん」
洗い物の手を休めて、母のために八朔の皮を剥ぎ果肉を取り出し
皿に添えて差し出す。
涙を引っ込め嬉しそうに食べる母の姿は、幼い日の私自身の姿(叱られて食べる)と重なる。
「ごめんなさい、母さん」
-掲載した画像はGW初日に散歩に連れ出した八坂寺にて撮影-
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