
ダム湖へ遠出した帰りだった。
黄昏の公園は、敷き詰められた落葉の上に長い影が延び、黄金色の光に満ちていた。
鈴懸の樹の下、移ろう光の万華鏡に見惚れるいつもの場所に、今日は人がいた。
その人は静かに本を読んでいた。
黄金の光に包まれたベンチで。
まるでドッペルゲンガーのように自分の姿をそこに観るようだった。
そっと後ろから忍び寄り、ドリアングレイの肖像を写真に収める。
もちろんその人は、似ても似つかにない他人なのだけれども、
その光の中で本を読む人は、離魂症の虚空から眺める私の現身(うつしみ)のように思えた。
バラエティ番組のタレントが、紅葉を綺麗だと思ったことは一度もない。
桜はピンクで綺麗だけど、紅葉は縮れて枯れているだけで綺麗とは思えない。
と発言して、賛否両論あり話題になったとネットニュースが伝えていた。
この人は、綺麗な紅葉を見たことがないのだろう。
そう切り捨てたいところだったが、その日のローカルニュースで紅葉の名所のライトアップ映像が。
ずーっと流される映像は、どう見ても褐色に縮れて精彩のない汚いカエデの葉っぱ。
それをレポーターを始め、皆で「綺麗。綺麗。」と称賛している。
思い返してみると、こういう綺麗の押しつけ映像は、結構多い。
どう贔屓目にみても、綺麗とは程遠いのにね(汗)
ダム湖に浮かぶ落葉松の黄金色の彩を撮影に出掛けた。
新緑の頃は鮮やかな若葉色だったのに…
立ち枯れて、赤褐色になっていた。
残念だ。
御免なさい。
この樹は湖の真ん中くらいにあるので、遠目には落葉松に樹形が似ています。
偶然見たサイトのメタセコイアの紅葉画像が、これとそっくり。
メタセコイアは赤茶に色づくので、やっぱり私の勘違いですね。
立ち枯れした落葉松ではなく、メタセコイアの赤茶の紅葉でした(汗)
次のキャプションを添えて私のFBにシェア
させてもらいました。
「ランスケさんのカメラを通して観る写心。
肉眼ではありえないダム湖の風景に眩暈した。
そして離魂症の虚空から眺めるランスケさんの
言葉の現身が語りかけてくる。」
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3035/2345010/
絵本作家、甲斐信枝さんの世界は良いですね。
福音館書店の自然科学絵本を飾った甲斐さんの細密画が大好きでした。
虫の視線になって野辺に咲く花々を何時間も飽きずに観察するセンスオブワンダー。
生命の不思議や美しさは、本当に驚きと感動の連続です。
甲斐さんの描く世界観と私が撮って来た世界観が、いくつも重なって理屈抜きに嬉しかった(笑)
NHKもドキュメンタリー番組は、やっぱり凄い。
報道番組の信頼度は地に落ちてしまったけどね。
えっ?今回の記事は面白いですか?
ホッホさんとFB仲間の嗜好性がイマイチ理解できません(笑)
写真が上手く撮れなかったので、お話を創ってしまいました。
ドッペンゲンガーと、その代表的な名作、オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を勝手に妄想…
もちろん、これは前回の記事の続きです。
さてエマニュエル・トッドは、新石器時代以来の歴史的転換点に私たちは今在ると云っています。
それは産業革命よりも大きな転換点だと。
しばらく世界の動向から目が離せません。
だけではなく見せ方なのだと再認識です、特に三枚目
四国だよねって自問自答
最近、写風変わりましたよね?
いや、私の見方が変わったのかな・・・
http://www4.nhk.or.jp/P4176/
今日は珍しくテレビ視聴時間が長いです。
関東大震災で焼失した北斎86歳の大作、再現の記録です。
90歳まで現役の絵師として描き続けた衰えない創作の高みへの執念は怖ろしい。
それと較べると(次元が違う。北斎と同じ土俵で較べるな)
もうマンネリ気味で方向性が怪しくなってきました。
作風を変えたつもりでしたが、早くも行き詰まりを感じています。
あちこちに袋小路を迷いながら、写真で綴る物語世界を続けてみます。
misaさんも、迷走してみましょう(笑)
別段、珍しい画像でもないでしょう?
風が止まったダム湖面の空の映り込みです。
因みにウユニ湖ではありません(笑)
久しぶりに、ほっとする番組でした。
芸術家の皆さんの中にコメントするのが、引いてしましますが、絵のおもしろさ、シナリオのすばらしさを見たような気がします。
ランスケファンの方々も同様だろうと思います。
湖面に写った木々の紅葉、どれも素晴らしい。
私は一番下の写真に引かれました。
秋から冬へ季節が深まって行きますね。
昨夜の甲斐信枝さんの描く野辺の花々の世界は、いい番組でしたね。
NHKらしい、こんな良質なドキュメンタリーをもっと作ってほしい。
もう一つ、昨日のNHKは「にっぽん紀行」で難病を抱え夭折した伝説の棋士、村山聖の足跡を辿るドキュメンタリーがありました。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3881/1.html
映画「聖の青春」で村山のライバル、羽生善治を演じた東出昌大が、その足跡を辿る旅でした。
http://satoshi-movie.jp/
人が生きる時間は、「今」の積み重ねなのですね。
命が限られた人の生きる「今」は時間の密度が全く違う。
そう感じさせられた番組でした。
初雪は、もっと前だったかもしれません?
今朝は、ライブカメラで確認できた石鎚山初冠雪です。
会長・米長邦雄が、有望な新人たちをインタビュー
してまわり一冊の本にまとめた事がありました。
村山聖もその有望な新人の一人でした。
当時から村山は、髪も爪も伸ばし放題でした。
米長永世棋聖は、村山になぜ君は爪を切らないんだ将棋の駒や盤に傷がつくじゃないかと叱りました。
村山は爪にも髪にも命があるので「爪を切るのは可哀そうです」と答えています。
聖の部屋は普通の男の子とは違い少女コミックでいっぱいでした。
ネフローゼで子供の時から入退院を繰り返し、病院には同じ病気の同年代の子どもたちがいましたが、少しづついなくなります。
口には出しませんが、恐怖と、なにも出来ない脱力感で胸が張り裂け泣き続けた日もありました。
将棋界は必ず入門する時に、師匠を持たなければなりません。
村山の師匠は伊予三島出身の森信夫七段でした。
師匠の森は村山を近くに住まわせ何時も気にかけて食事や身の回りの世話までしました。
他の師弟関係ではありえない愛情をそそぎました。
将棋界では弟子たちは地方の天才が集まってくるので、殆んど将棋を指導したりはしません。
森の弟子は他に関西の有望棋士・山崎隆之もいます。
自分の命の限界を感じていた村山は名人になるために、体調が悪くても順位戦で戦いました。
相手が考えている時に横になって休みながらの対局でした。
名人挑戦が可能なA級まで一気に上りつめましたが、もうその時には、癌が進行していて途中休場で実家の広島に帰り病院でなくなりました。
羽生が対局者の背後にいる将棋の神様と対局してるなら、村山は自分の命と引き換えに将棋界の最高位の名人達と対局していたのでしょう。
村山の終盤の力は並外れていました。
しかし才能ある人間に運命は過酷でした。