
日曜日の散歩は、また八ツ塚から八坂寺界隈の通い慣れた秋の里山散策となった。
毎朝、朝食前に手を合わせ祈る仏壇の父と母が、好きだった散歩道。
「行きたい」と遺影の父母から背中を押されるように出発した。
先週の視野検査で「左視野半盲」の診断を受け、かなり落ち込んだ。
困った時の神頼み。近郊では有名な目の神様、生き目神社へのお参りが主目的。
新居から八ツ塚方面への徒歩往復は、かなり長距離になるので、駅前から出ている郊外バスで目的地近くのバス停まで往復することにした。
おかげで日曜日の歩行距離は、14.3kmでした。
暗くなってからの長距離歩行は、半盲の私には危険過ぎる。暗がりで転倒して再入院は勘弁してほしい。
今回は本当に真剣に祈った。
先ず疫病退散をずっとお願いしていたお大師様やお地蔵様や氏神様に鎮静化したお礼を云い、私の視野障害の回復を願った。
衛門三郎の姓名は「河野衛門三郎」だった。
実は亡き父の旧姓(親から授けられた姓名は河野三郎なのです。)
どうも生前父母は、この八ツ塚に足を向けた痕跡がない。
それなのに、導かれるように、この場所(河野一族の墓所)に惹かれ通い続け、お地蔵様たちに手を合わせ祈るのも縁(えにし)なのでしょうね。
しっかり先祖供養しないと。どうも墓守りの務めが私の宿命みたいです((笑)
それとは別に、この二日ばかりブログ読者の皆さんに読まれている人気記事として「トロイメライの旋律が聴こえる」
が上がっていて驚いている。
確かに過去記事でも定番として何度も読まれているいくつかの記事の一つなのだが、この記事は、コロナ禍の今だからという側面がある。
前回の石手寺の記事で琴線に触れた「慈愛」。その回答が、トロイメライの記事の主題であるホロコーストの哲学者レヴィナスの説く「祝福の交換」なのです。
祝福の啓示については、トロイメライに先立つ記事「祝福について」
と合わせて読んでいただけると嬉しいです。
自薦Best of ランスケダイアリーでは、「トロイメライの旋律が聴こえる」は幸せな気持ちになれるの第一位です(笑)
皆さんと祝福のキャチボールがしたい。
そうすると世界が慈愛で溢れるのに((笑)
荏原城跡は、築城年代は不明であるが、建武2年(1335年)、忽那氏が「会原城」で戦ったという記録が『忽那一族軍忠次第』にあり、築城はそれ以前である。
この城は、河野氏の家臣平岡氏の居城で平岡城ともいわれ、天正13年(1585年)、平岡通倚のとき、豊臣秀吉の四国征伐により落城した。その後、慶長5年(1600年)、平岡善兵衛がこの城で河野氏再興をはかって失敗し、城は廃墟となって今日に至っている」だそうです。
ランスケさんの生き目神社での祈りが届きますように。
荏原周辺は肥沃な土地ですよ。
三坂峠辺りを水源とする久谷川と重信川が合流する扇状地です。
砥部運動公園のある丘陵地は典型的な河岸段丘です。(ブラタモリか?(笑)
八ツ塚も含めて、この周辺は古墳時代から弥生時代にかけての古墳が点在しています。
その頃からこの周辺の土地は地域の豪族であった河野一族が支配していたようです。
そういえば八ツ塚の近くに大山づみ神社の教会会館がありました。
やっぱり、この辺りは古くから河野一族の土地だったのでしょう?
私は御先祖様に導かれたのでしょうね(笑)
墓守として。
1年1組ランスケくん!
祈りは世界中同じだと最近考えるようになりました。
しかし武力や強制されるものでは決して無い。
日本は全ての宗教に寛容で素晴らしい国だと思います。
弘法大師の布教、試練、行脚、素晴らしいことです。
その足跡をたどって歩むランスケさん、一日も早い回復をお祈り致します。
先日、窪野、白猪の滝方面に行きました。
荏原の平野も秋・・・タモリさんに来て貰い、序でに歴史の掘り起こしもして貰いたいですね。
窪野の彼岸花に白猪の滝訪問と連日の遠征ですね((笑)石鎚の紅葉も順調に進んでいるようです。
週末のお天気も良さそうなので期待できますよ。
石鎚秋登山、楽しんで来てください。
新居の暮らしにも慣れて、新しい日常に馴染み始めています。
視野障害の回復には時間がかかりそうなので、
今回の散歩のように、自分の身体能力の可能な範囲で公共の交通機関を利用しながら行動しようと考えています。
引っ越しの後片付けもホッホさんや画学生時代の友人O君たちの助けを借りて、なんとか今週中に終わらせることができそうです(笑)
「
トロイメライの旋律が聴こえる」「は、今読んでも胸が熱くなります。
私の書いたブログ記事の中でもトップクラスの上質な内容だと思います。
それがコロナが鎮静化しつつある今、多くの読者の心を捉えるのは嬉しいことです。
前回の石手寺でも感じたことですが、
コロナが鎮静化して多くの人がお参りに来ていました。
若い人たちが真剣に手を合わせ祈る姿が、とても新鮮でした。
コロナ禍は、困った時の神頼み。
多くの人に神仏に祈る信仰心を蘇らせたと思っています。合掌。