Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

母の帰郷

2010-06-07 | 家族
  父の49日の法要と納骨を済ませた。
 これで、やっと父を弔うための儀式が終了して、喪が明けたことになるようだ。
 
 曇天の予報に反して、暑い陽射しの照りつける一日だった。
 本堂での法要は、ひんやり陰に落ちて、時折涼しげな風も通り抜け、
 和尚さんの読経の声が時々間遠く聴こえた(昨夜遅くまでの準備と早朝からの
 母の喪服の着付けや諸々の手際の悪さが重なり寝不足気味でした)

 

 一転して正午前の高い陽射しの下、墓所での納骨は母が堪えたようです。
 日傘を忘れてしまった私の落ち度です。
 石材屋さんの勧めに従って大島石(国内産の石材)の墓石をお願いしておいたのが
 功を奏したのか、荒廃気味だった墓所周辺の環境も、すっかり綺麗に整備されていた。
 すべての父の弔いのための儀式を終了して、次回の初盆のためのスケジュールを
 調整して帰途についた。
 
 

 母の故郷の街である岩松の生家跡(もう母の生家跡には数軒の家が軒を並べ見る影もない)
 を訪ねようかと打診するが「いらない」と取り付く島もない。
 疲れからなのか、複雑な生い立ちの境遇がそうさせるのか、
 その頑なな横顔に、私たちには窺い知れない想いが胸の奥深く沈んでいる
 のかもしれない。
 
 昼食もかねて母が多感な年頃(小学校から女学校)を過ごした宇和島市街へ車を走らせる。
 こちらは存外、肉親からの疎外感とは別な地平で、少女時代を謳歌していたのかもしれない?
 時折、歌番組に合わせて口ずさんでいたペギー葉山の「学生時代」や
 現在も音信が途絶えないらしい女学校時代のクラスメートからの年始の挨拶や
 妙に華やいで声で遣り取りする電話の様子からも窺える(笑)

 

 まず宇和島伊達藩、藩主の庭園跡「天赦園」を訪ねた。
 花菖蒲の花園が見事で、母の顔も寛いできた。
 田舎大名の庭園と侮ってはいけない。
 規模は小さいながらも、その洗練された美しさには正直驚いた。
 唯、贅を尽くした華美ばかりが目を引く何処かの庭園とは大違いだ。

 明倫小学校、宇和島女学校(現、宇和島南らしい)と巡った。
 周辺は宇和島の文京区らしい静かな佇まいだ。
 でも母の暮らした富沢町が判らない。
 交番で尋ねても若いお巡りさんで埒が明かない。
 どの街でもそうだが、趣のある旧町名が消えてしまう。
 小学校も女学校も、歩いてすぐの距離だったらしい。
 今も仏壇に位牌の残る母の育ての親ともいえる親戚筋の乳母にあたる人
 と暮らした母の home sweet home が判らない。
 母にとっては本当に大事な人だったのだろう。
 残念ながらタイムアウト…ごめんなさい母さん。
 次回、初盆の法要の時に、弟と二人でもう一度探してみます。




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5 コメント

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天赦園の近くにあった藤澤町 (カタックリ)
2010-06-08 00:01:39
ランスケさん こんばんは!!

お父様の49日の法要と納骨が終わられ 少し
安堵されたことと思います。
月日の経つのは早いものですね~。
今頃は 新吉(字 合ってるでしょうか?)
天国で どのように過ごされているのでしょうね~。いつも 食事を綺麗に食べられ 私が
食事量チェックに行って 食器の蓋を取って食事量をチェックしていると何故か「げさくやな~」といって 微笑んでおられた顔を思い出します。そして1日おきの長時間の苦しい透析に耐えられていた姿を思い出します。合掌。

さて 私も宇和島人なので お母様の探している「藤澤町」をネットで探してみました。
私は 18歳まで住んでいましたが 「藤澤町」という町名は聞いたことがありませんでした。
私が 中学時代毎日通った神田川のところに
「勧進橋」がありました。
ちょうど 天赦園から南へ明倫小を過ぎ橋を渡って東へ川沿いを行くといくつか目に勧進橋があります。その近くが「藤澤町」のようです。

ネットのURLを下記に入れておきます。

http://tack7.fc2web.com/choumei/choumei03.html

http://monme42.i-yoblog.com/e129463.html

調べてみましたので 参考にしてくださいね。

今度 お母様が里帰りなさったら 是非 案内してあげてください。


返信する
新吉さんと入れたのに 「さん」が抜けて・・・ (カタックリ)
2010-06-08 00:05:02
ランスケさん 申し訳ありません。
新吉さんの「さん」が抜けてました。
大変 失礼しました。
返信する
安堵しました (ランスケ)
2010-06-08 05:43:36
カタックリさん、感謝します。

ひょっとして母の記憶違いかと少し疑っていました。
PCの画面から「富澤町」が浮かび上がった時には
遠くに揺らぐ蜃気楼が現実の光景として間近に立ち上がったような気分です。
ありがとうございます。

カタックリさんにとっては、身近に接した
父との思い出がありますよね。
あれほど生々しかった悲しみの感情が、僅か1ヵ月半程度で
こんなに遠くの出来事のように薄れてゆくとは思えませんでした。
毎日仏前で手を合わせる時だけ父との時間を思い出します。
やっぱり薄情な息子なのでしょうか?
返信する
西冠でミサさんと・・・ (カタックリ)
2010-06-11 10:12:54
ランスケさん おはようございます。
昨日 西冠下のお花畑に行ってきました。
今が見頃でしょうか、ユキワリソウ・イワカガミ・キバナノコマノツメの三姉妹が咲き誇っていましたよ。
そこで 高知の3人の方とお会いしまして いろいろお話をしていましたら「ランスケさん」のお名前が出てきて あらあら~といううちに
話がはずんでしまいました。ミサさんでした。
この出会いもランスケさんが 取り持ってくださったのですね。
又 どこかでお会いできることを楽しみにしています。

お父様のことですが 誰しも悲しみを抱えて
生きてます。時と共に忘れて悲しみは薄らいでいきます。そうでないと 生きていけませんもの。薄情な息子だなんて とんでもありません。親孝行な息子さんだと思います。
一人で 親御さんを看ていらっしゃるのですもの。これからも お母様とともに できるだけ
在宅でお守りしてあげてください。
おうちが一番です。
返信する
misaさんからもEメールもらいました (ランスケ)
2010-06-11 20:46:31
 カタックリさん、昨夜misaさんからもEメールが届きました。
添付画像には自然監視員の腕章をしたカタックリさんの姿が!
これは心強い人が監視員になってくれました。
石鎚山における写真撮影のマナーは年々目に余るものがあります。
ほとんどの人は判っている筈なのですが、
一部、確信犯的な人もいますのでマナー違反を指摘するときには注意してくださいね。
指摘を受けたこと事態を逆に怒り出す人がいますからね。

 カタックリさん、私は「親孝行」とは極北にいる人間です(笑)
若い頃は両親の心情など全く理解しようとしないモラトリアム男でした。
やっと親の心を斟酌できるようになったのは、
父母の認知症が進行して、私に依存するようになった「幼児のような存在」になってからでした。
そして「父の死」によって本当に大事な人が、この世界から消えてしまうことの意味に
やっと気づいたような愚か者です。
この代償は大きいですね。
残された母に対しては、決して同じ過ちを繰り返さないつもりです。
そのためのブログだと思っています。
どうか皆さんで見守っていてください。

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