
掲載した画像は、母のアルバムの中の一枚だ。
この写真は、私の古いアルバムにも収められている。
父はたくさんの家族写真を残してくれた。
それは乳呑み児の頃から、延々と小学高学年くらいまで続く。
私の写真好きは父の血かもしれない(笑)
とりわけ、この一枚は母も好きだったようだ。
左が私で右が母だ。
今は無き松山市祝谷の生家の庭先でのスナップ。
畑の先には旧付属小学校、右手の森は護国神社。
写真をジッと見つめていると目頭が熱くなって来る。
幼い私は、大好きなお母さんを信頼しきった視線でみつめている。
そして現在は、立場が逆転した。
身体機能が急激に衰え、認知症の進行した母をディケアに通わせることにした。
今までの介護施設では、もう対応できない。
ケアマネさんと訪問リハビリに通ってもらっている作業療法士さんを交えて相談した。
作業療法士のKさんは、もう母の運動機能の衰えは週一度の訪問リハでは
限界に来ていると云う。
ケアマネさんが以前から勧めている「認知症対応の小規模多機能ディケア施設」
への移設を真剣に考える時期に来ている。
一度施設を見学に行った感触は悪くなかった。
でも決定的な不安材料があった。
母は父が退職して二人暮らしになってから、一人で出歩いたことが一度もない。
いつも二人は一緒に行動した。
四国88ヶ所めぐりも、句会もディケア施設も買い物も散歩も…すべて二人一緒。
父が亡くなって、ひとりで出かけることが可能だろうか?
外への関心が極端に低下したとは云え、依然として喜怒哀楽の感情はある。
ひとりで施設へ通うことを告げた日の、心細そうで哀しそうな目が忘れられない。
新しい介護施設の人は、通所する前に一度面談に訪れた。
顔合わせすることで「初めての施設でも知らない人ばかりではない」
という心配りが嬉しい。
そして今朝、母は初めてのひとりでお出かけ。
不安そうに見上げる視線がたまらない…
出迎えの若い介護職員のきめ細かい対応が、見ていて温かく安心感を覚える。
でも心配でお昼過ぎに、契約の説明を聞くことを口実に施設を訪問(苦笑)
昼食を終え、頭の体操的な俳句づくりをする母の姿を覗きみる。
私に気づかず句作に懸命な母の姿が微笑ましい。
私を見つけて「帰る」と言い出すと大変なので早々に退散。
先刻、帰宅した母を迎えた。
くたくたの様子だが、安心して寝入る母の様子に安堵を覚える。
私にとって現在(いま)一番大事なのは、この人だ。
■新潮社、季刊「考える人」村上春樹ロングインタヴューを読んでいる。
1Q84をめぐるインタヴューで「手を握り合う」ことに触れたセンテンスに、
うんうんと肯いている(笑)
この本を巡るブックレヴューの中で、このことを重要視したのは私だけ(鼻息)
今月の文庫新刊に嬉しい悲鳴。
小川洋子、ポール オースター、堀江敏幸、川端裕人…
幸福な時間を、しばらく過ごせそう(笑)
この写真は、私の古いアルバムにも収められている。
父はたくさんの家族写真を残してくれた。
それは乳呑み児の頃から、延々と小学高学年くらいまで続く。
私の写真好きは父の血かもしれない(笑)
とりわけ、この一枚は母も好きだったようだ。
左が私で右が母だ。
今は無き松山市祝谷の生家の庭先でのスナップ。
畑の先には旧付属小学校、右手の森は護国神社。
写真をジッと見つめていると目頭が熱くなって来る。
幼い私は、大好きなお母さんを信頼しきった視線でみつめている。
そして現在は、立場が逆転した。
身体機能が急激に衰え、認知症の進行した母をディケアに通わせることにした。
今までの介護施設では、もう対応できない。
ケアマネさんと訪問リハビリに通ってもらっている作業療法士さんを交えて相談した。
作業療法士のKさんは、もう母の運動機能の衰えは週一度の訪問リハでは
限界に来ていると云う。
ケアマネさんが以前から勧めている「認知症対応の小規模多機能ディケア施設」
への移設を真剣に考える時期に来ている。
一度施設を見学に行った感触は悪くなかった。
でも決定的な不安材料があった。
母は父が退職して二人暮らしになってから、一人で出歩いたことが一度もない。
いつも二人は一緒に行動した。
四国88ヶ所めぐりも、句会もディケア施設も買い物も散歩も…すべて二人一緒。
父が亡くなって、ひとりで出かけることが可能だろうか?
外への関心が極端に低下したとは云え、依然として喜怒哀楽の感情はある。
ひとりで施設へ通うことを告げた日の、心細そうで哀しそうな目が忘れられない。
新しい介護施設の人は、通所する前に一度面談に訪れた。
顔合わせすることで「初めての施設でも知らない人ばかりではない」
という心配りが嬉しい。
そして今朝、母は初めてのひとりでお出かけ。
不安そうに見上げる視線がたまらない…
出迎えの若い介護職員のきめ細かい対応が、見ていて温かく安心感を覚える。
でも心配でお昼過ぎに、契約の説明を聞くことを口実に施設を訪問(苦笑)
昼食を終え、頭の体操的な俳句づくりをする母の姿を覗きみる。
私に気づかず句作に懸命な母の姿が微笑ましい。
私を見つけて「帰る」と言い出すと大変なので早々に退散。
先刻、帰宅した母を迎えた。
くたくたの様子だが、安心して寝入る母の様子に安堵を覚える。
私にとって現在(いま)一番大事なのは、この人だ。
■新潮社、季刊「考える人」村上春樹ロングインタヴューを読んでいる。
1Q84をめぐるインタヴューで「手を握り合う」ことに触れたセンテンスに、
うんうんと肯いている(笑)
この本を巡るブックレヴューの中で、このことを重要視したのは私だけ(鼻息)
今月の文庫新刊に嬉しい悲鳴。
小川洋子、ポール オースター、堀江敏幸、川端裕人…
幸福な時間を、しばらく過ごせそう(笑)
幸い症状としては今回は一時的なもので、暫く様子を見ることになり一安心。。。
家族に感謝です
私のカメラ好きは母譲り・・・今も収納ケースに
オリンパスOMシリーズやヤシカ2眼レフが眠ってますよ
それ故に、私はこう思うとしか言えないが・・・
介護するときには、共倒れになれば、・・・親のため自分のために頑張って頑張って、結局ゆとりがなくなって、共倒れになることが一番の親不孝。
小生は、そう割り切っています。
御母堂様のデイケア施設デビュー、まずは一安心ですね。
もっともっと優しくなれること間違いなしです。
母と子のひととき。その時の空気が感じられます。優しい雰囲気の写真ですね。うらやましい。
御主人やお嬢さんたちが一番安堵していることでしょう。
父の遺品をまだ整理していないので判りませんが、
とにかく物が捨てられない父母のことです、
きっと、あの古いカメラも何処かに仕舞われていることでしょう。
もしまだ使用可能なら、父の手に馴染んだカメラで懐かしい風景や肖像写真を
写し撮りたいものです。
kyoichさん、Eメールで触れていた「認知症対応ディ」への第一歩を踏み出しました。
初めての「ひとりでお出かけ」に、施設で垣間見た母は、
まるで「きまじめな転校生」のように背筋を伸ばし、
緊張のあまり顔が強張っていました(笑)
案の定、帰宅後は首と肩と脹脛の凝りを訴え、
「よく頑張ったね。母さん偉かったよ」
とマッサージと湿布を施しながら、ひたすた母の頑張りを誉め続けました。
スキンシップと母のすべてを受け入れる言葉を囁き続けることで、
少しづつ現状を受け入れる気持ちが母の中に
芽生えてくれればと願っています。
さて次回は金曜日。
何とか新しい環境に馴染んでもらいたいものです。
「母は父が退職して二人暮らしになってから、一人で出歩いたことが一度もない。
いつも二人は一緒に行動した。
四国88ヶ所めぐりも、句会もディケア施設も買い物も散歩も…すべて二人一緒。」
ここを読むたびに、御母堂は、御尊父との幸せの時間を心に封印されたのではと勝手に推測しています。うらやましい姿です。
もちろん、母親に取っては子どもが幸せの一番身近な存在であるとは承知していますが、「すべて二人が一緒」の中での時間が大きな理由になったのではと・・・
失礼にも、勝手なこと想像してしてすみません。我が父母は、決して仲の良い夫婦とは言えないで、よくけんかをしていたのでうらやましい限りです。
(よくドライブには一緒に行っていましたが、これも小生があまり近づかなかったからかと?)
こんなコメントは、相応しくないでしょうか?しかも、こんな分析は意味もないことですし、メールの方が良かったかとも思います。
ごめんなさい。
気に入らなければ即削除(笑)
当初は、もっと長いコメントに対する回答を書くつもりでした。
でもほら、人気サイトのコメント欄って、もっと簡潔じゃないですか。
いつもの饒舌さを抑えて、私も簡潔明瞭なコメントを書こうとしました。
でも無理ですねぇ(笑)
kyoichさん、その結論は当然なのです。
私が、そのように書いているのですから。
母に対する想いは父の死後、大きく変わりました。
そのことを書き連ねると、私にも短編小説が書けそうなくらいです。
この想いは、とてもコメント欄では収まりきらないので、新たな記事を書き上げます。
これに懲りないで、またコメント待っていますよ(笑)