
入院一カ月を過ぎると色々みえてくるものもある。
同じ病棟でも長期入院は、高齢者が多く、それもおばあさんの姿が目につく。
先日、木曜日は毎週恒例の体重測定の日で、
館内アナウンスがナースステーション前に各自集まることを告げる。
ちょうど私の前に、二人の車椅子に乗ったおばあさんの姿があった。
看護師さん一人が介助して、おばあさんを立ち上がらせ両脇に手摺のついた体重計に乗せようとしている。
突然、癇走った声が耳をつく。
「手を離して。手を離してって言っているでしょう」
体重計から後ろ向きに後退して車椅子に乗る動作を怖がったおばあさんが、
手摺にしがみついて固まっているのだ。
さらに看護師さんの叱責が棘のように、恐怖で固まったおばあさんに浴びせかけられる。
その癇走った声は茨の鞭を振るうように周囲の空気を凍らせていた。
幸い、他の看護師さんが駆けつけてきて介助し、おばあさんは無事車椅子に収まった。
小さな身体を震わせ恐怖に固まった童女のようなおばあさんの後ろ姿が忘れられない。
文庫化された梨木香歩の著作で、唯一読んでいなかったのが「エンジェル・エンジェル・エンジェル」だった。
なぜ、この本だけ抜け落ちていたのか不思議だ?
表紙をめくり読み始めると、ストンと物語世界に惹き込まれ、そのまま一気に読み終えた。
「西の魔女が死んだ」とは形を変えた思春期の少女と、その祖母との交流の話だ。
相変わらず文体はピュアで透明感に満ちた繊細な言葉の遣り取りに心が洗われる。
そして、この物語で救われるのは少女ではなくおばあさんかもしれない。
否、心に鬱屈を抱えた少女も過去の罪障に慄いていたおばあさんも、
少女のお母さんも、そしてツネさんも、みんな最後には救われたのだと思う。
それはドストエフスキーの神との対話の中で最後にそっと添えられた寛容や慈悲と同様に。
よく言われるように本作には、色んな仕掛けが入れ子細工のように施されている。
それは読者である皆さんが、わくわくしながらページを繰る楽しみとして、あえて言及しません。
ユング派の臨床心理学者、河合隼雄のアシスタントだったという経歴を持つ梨木香歩の
ダークサイトな人の心の闇を焙り出す手法は胸をうつ。
ちょっとルール違反かもしれないが文中より抜粋。
「そうだねえ、さわちゃん、それ、ちょっといいよねえ、ちょっとさ、そう言ってもらえたらねえ」
さわちゃんも、空を見上げた。
焦点は定まっているようではなかった。
「…気が納まるよねえ…とりあえず」
しばらくそうやって二人で空を見上げていた。
それから私はエンゼルの埋葬に戻り、
「おまえもかわいそうなことをした」
と、今は見えなくなった死骸に話しかけた。
さわちゃんが、きょとんとした顔つきできいた。
「…コウちゃんは、悪魔にもかわいそうだって言う?」
「うーん、そうだね」
私は、自分がまだ、深くそのことにいついて考えていないにもかかわらず、
勢いで思わずうなずいてしまった。自分らしい、と私は思った。
けれど、それをきいていたさわちゃんは、はらはらと涙を落とした。
「…ごめんね、コウちゃん、ごめんね、コウちゃん、コウちゃん…」
さわちゃんは泣きながら何度も私に謝った。
中略
「いいんだよ、さわちゃん、姉妹じゃないか」
と冗談めかして言った。
さわちゃんは、嬉しそうに笑い出した。
そういうことがあって、数日後、さわちゃんは眠るように亡くなった。
本当に美しい心洗われる物語。
深い森の奥にコンコンと湧く周囲の緑を映した清冽な泉の水を掬うような読後感。
(単行本と文庫本では結末の書き換え等、大幅な手直しがなされたようだ。別の物語?)
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エンジェル・エンジェル・エンジェル (新潮文庫) |
梨木 香歩 | |
新潮社 |
お見舞いにも行かず失礼しております。
当方、本日から個展を開いておりまして、その準備で失礼しております。
落ち着けば、伺いたいと思っています。
写真展のこと、昨日の新聞のローカル欄で見ました。
西条市の文化会館でしたか?
以前、三浦さんから聞いていた西条市主催のテノール歌手の秋川さんを交えた催しの一環でしたね?
それにしても御自分のブログを持っているのですから、
少しは更新して写真展の案内を載せてください(笑)
お見舞いのこと、どうか気になさらないように。
たぶん?間もなく退院のはず??
経過は人並み以上に順調なのに、なかなか退院に至りません。
同室だった同じ箇所を骨折した方は、退院まで70日。
カタックリさんは50日を要したと聞きました。
ネット検索をしても術後6週を経過しないと無理みたい。
今日からのリハビリで、体重の1/3を右足にかけても大丈夫らしい。
通常4週で10kgらしいので、倍以上の加重となります。
なんとか5週で退院を目指しています。
もう本を読むのにも飽きました(笑)