2011年11月13日(日)。
記憶に残る日になって欲しくないが。
三角形の美しい山姿の「蓼科山」に登山。
ただ、標高差800mを一気に登る急登である。
最近、標高差としては500m程度の山登りしか行っていない。
トシちゃんとしては、かなりの決心ものである。
天気は良好。山頂での景色も素晴らしく、「山って良いなあ~」と痛感。
2110mからの蓼科山 やっと山頂 蓼科神社奥社の向こうが山頂
八ヶ岳連峰 南アルプス 浅間山(右)、四阿山(左)の右後ろが草湯白根山
しかし、地獄は、下り坂にあった。
山頂を出発して55分。
ゆっくり休みながら降りたつもりだが、かなり足がクタビレていたのだろう。
岩の上でバランスを崩し、最初に着地した草地が地面から離れた。
一回転半位したのではないだろうか。
着地後、30秒ほどで、生存していることを確認した。
幸いにも、頭は打ってない。 ただ、右膝からかなりの出血。
落ち着いて、抉れた部分にハンカチを当て、その上の部分をスーパーのビニール袋で強く縛る。
ゆっくりゆっくり、下山者の助けを借りて2時間で駐車場へ。
双葉SAで、救急箱を借り、消毒、ガーゼを当てる。
渋滞の中、家へ着いたのは、夜10時を過ぎていた。
ズキンズキンと響くなか、布団に入り夜を明かす。
4:20自宅発、6:20双葉SA、8:00蓼科山登山口、9:10 2110M地点、10:30 2450M地点、森林限界。 10:45山頂、11:30同発、
12:25転倒、岩で右膝怪我、治療。13:06 2110M地点、14:20登山口着、 15:40 双葉SA、22:15自宅着
翌朝、外科を訪れる。
既に膿んでおり、縫わねばならない。
しかも、20時間経っているので、更に切断して元に戻すという。
麻酔はかけたが、意識が朦朧となった時間を過ごした。
注:医者が言うには、SAで救急車を呼ぶべき。
取りあえず、自宅へ戻り、本ブログを書いている。
心配した会社は、せめて今週は自宅に居ろという。
無理しても行くつもりであったが、好意に甘えることとした。
存在感が余りないのだと感じた一瞬で、有る意味、寂しい気がした。
<後日談(2011.12.6記)>
「手術一週間後に抜糸」という予定であったが、歳のせいか治りが遅く、
10日後にやっと抜糸。
結局、2週間の休みを戴き、一週間前から出社している。
医者を神様のように感じた日々であった。
最初の出勤日。 実際は足を曳きずるも、健康体かのように見せる苦労。
満員電車や通勤路で、人の波を怖く感じた。
今は、通院する回数も減り、次第に回復を実感。
医者は、「山登りをしても良い」と言うが、「行けるものなら行ってみろ」と聞こえる。
年明けからのスポーツを夢見て、溜まった仕事を捌く日々を過ごしている。
休んでいる間の出来ごと。
1、今回の蓼科山は、中部地方の地図と方位磁石を持って行った最初の登山。
周囲の山の名前が鮮明に理解できた。
今回、更に関東地方の地図も購入。日本百名山、60歳以降に登山した山にマーク。
これからの登山計画を描くと同時に、美しい山の想い出に浸った。
2、自宅にシンクライアント方式のPCを搬入して貰った。
無線で飛ばし、ハードディスクは無し。更には指紋認証まで付いている。
完全なセキュリティの下、会社に居るのと同じ環境が得られた。
しかし、怠け癖がついた人間には、在宅勤務は実質上無理ではないかと感じた。
3、一眼レフのカメラを愛用しているのだが、ファインダーから覗いて写真を撮っていないことに気付いた。
見たままの映像でシャッターを押すと、ピントが極めて合うことに驚愕。
当たり前のことを再認識した。
(おまけ)
前日(11月12日)に、箱根大涌谷を訪問。 神山への道は開いていた。