傷害罪の被害者となった老人は、加害者の漆原将司が大学生であることを警察署側から知らさると「実は、最初に手を出したのは私の方でした」と事実を証した。
そして、自ら傷害罪の訴えを取り下げたのである。
将司は、現行犯で逮捕され警察署に3日間留置されていたので大学を辞めることを、すでに覚悟していた。
父親の昭雄が47歳の時に自殺したことで、母親の里子は4人の子供を苦労してこれまで育ていきたのだ。
その母親が泣き顔で、期待している息子が留置されていた淀橋警察署に面会に来ていた。
将司は、自ら責任を取り死ぬ覚悟であったが、さすがに憔悴した母親の姿を眼前にすると、死んでなどいられないと生きる覚悟を決めた。
競馬のために当時、500万円もの会社の金を横領した夫の昭雄は、小田急線の百合丘の駅のホームから身を投げてしまったのだ。
夫の昭雄は、おそらくは競馬に負けて、府中競馬場を後にして、京王線の府中駅からバスで小田急線の百合丘駅へ向かっていたのだろう。
だが、皮肉なことに、母親には実父から受け継いだ2000万円の遺産があった。
「私に、相談してくれたら死なずにすんだのに・・・」彼女は、悔いるばかりであった。
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