▼人は「本人」だけでは救われない。
そこには社会への関心、人との関わりが重要である。
目下かの日本では、自己開発ばかりが説かれる裏では誰もが周囲に敵対的になっている。
政治の世界も同じで、立場が違うと対話すらできない。
▼宗教の本来の目的は「布教」である。
排他的な原理主義の信仰でない限り、布教の前提には「最初は、異なる思想の人がいて当然」という認識のもと、他者にアプローチすることで、徐々に味方してゆく柔軟性が備わっている。
寛容の精神を広げることだ。
▼今後、人口減少が進む日本では外国人労働者の増加が不可避だ。
そこで、東南アジア出身のイスラム教徒はじめ、宗教人口は必ず増える。
「日本に住む人は無宗教だ」とは、もはた言えのくなる。
メディア各社の宗教に対するリテラシーは低いまま。
それが問題だ。
リテラシー(literacy)とは、読み書きの能力を表す言葉で、現在は「ある分野に関する知識やそれを活用する能力」のことをさします。
▼懸念されるのは、周囲と対話すらできないほど個人化が加速しているこだ。
その結果として、人々の意識が「いま・ここ」に集中してしまっていることだ。
▼過去から現在に続く長い時間軸の中で、自分たちが今どこに位置するか。
その延長上に、どのような未来を目指すべきか。
長期の時間感覚を見失い、瞬間的な情動やブームに流されていては、危機の中であおられ、過激な極論へと飛びつき、沈んでしまうだろう。
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