創作 人生の相性 16)

2024年09月29日 07時17分19秒 | 創作欄

無二の親友であった水野晃がこの世去って1年が過ぎたころ、都庁の薬剤部長の定例会見で足立は、他者の記者である奈良仁と出会った。

2人はその日、有楽町のガード下で酒を飲んだ。

奈良は貴公子のような容姿であった。

彼は既婚者であったが、男性も好きでもあったのだ。

奈良から突然、手を握られた足立は当然、拒絶する。

「その気はないんだ」

「分かった。許してくれ、二度と手は握らないから・・・」奈良は父親を知らなかったそうだ。

俗論なのだが、父親を知らない男性は「男をも好きになる?!」

育ちを聞くと偶然にも、子どものころには多摩川で遊んでいたという。

「多摩川には巨人の練習場があって、度々、見に行ったんだ」奈良は大学まで野球をやっていたと言う。

「すると、自宅は川崎側?」足立はそのことから奈良に親しみを覚えた。

「そう川崎側」

「僕は大田区側」足立は多摩川で溺れた小学年2年の記憶が蘇る。

「偶然だね。俺も、多摩川で溺れて中学生のお兄さんに助けれた」実は奈良はその時、お兄さんに抱かれたことで、初めて言い知れぬ快感を覚えたのだ。

奈良は24歳の時に、新入社員の秋山春子に惚れて直ぐに同棲し、その後、結婚した。

初対面の18歳の春子は、新潟の湯沢で生まれで白い肌をしていて、その肌に惹かれたのだ。

実は、奈良は他社の出版社から頼まてアルバイト原稿を書いていたことが、同僚に知られたことから、そのアルバイトの後任として、足立を推薦したのだ。

詳細は省くが、それは薬価基準問題に影響する記事であったのだ。

原稿料の他に、製薬企業の広報部長らに赤坂の高級クラブの接待を受ける。

帰りには、自宅までハイヤーで送られた。

帰り際には、10万円入りの白い封筒を製薬企業の広報部長から手渡された。

その金で、足立は競馬を始めたのだ。

何故かと言えば、足立が関わった出版社の社長は中央競馬の馬主でもあって、中山競馬に初めて誘われたのだ。

競馬観戦と馬券購入、それは足立にとって全く初めての異次元の世界であった。

 

 

 

 

 

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