食卓には山盛りの野菜サラダ。そして市販のドレッシングの瓶。
ドレッシングの名前は、思いっきり『サラダ記念日』。
「おい、それで今日は野菜サラダをこんなに食わせる気か?」
「7月6日はサラダ記念日なんだもの。たっぷりサラダをふたりで食べましょ」
「業者の売り口上に乗せられてこんなドレッシングで野菜を山のように食えと?」
「なにあなた、デリカシーのない人ね。イライラするのは野菜不足よ」
むっ。頭にきた。
「そんなふうに言うなら言わせてもらおう。ドレッシングに『サラダ記念日』なんてネーミングは笑止千万。第一、市販のドレッシングを使った時点で、私の味を君がほめてくれたという喜びとは別物になっておる。ドレッシング業者にまんまと騙されおって。
君はこの歌の意味合いをちゃんと理解しとるかね?
肉じゃがでも味噌汁でもローストビーフでもなく、サラダなのはなぜか?
つきあいはじめて日の浅い、初々しいカップルだからこその新鮮サラダ選択なわけだ。料理に慣れない彼女が彼のために作ったことに意味があるわけだ。彼のほうも自分のために料理してくれた喜びを『この味がいいね』と表現しておる。凝った料理じゃこの味は出せないだろ?
ではなぜ7月6日なのか?7月7日といえば七夕。年に一度の逢瀬の夜を目前としているところが今のふたりの関係をさりげなく示唆しておる。それでいて七夕に近いがゆえになんでもない日という感じがより強まるのだよ。
そして『サラダ記念日』。彼との幸せな日々をさまざまな記念日として記憶したいっていう乙女心そのものじゃないかね。サラダさえ、あなたがほめてくれたから記念日にしちゃいたいなんて、実にキュート。
そんな等身大の女の子の気持ちをストレートに詠んだところが斬新だったのだよ。格調高い文芸として敷居の高かった短歌のイメージを払拭し、市井のものとした功績は大きい。
それを本物の記念日にしたりだの、商標名に使ったりだの、逆に形骸化させとる。愚の骨頂!そこらへんがわからんようじゃダメだな」
妻が、エプロンをきっちりたたみテーブルの隅に置いて立ちあがった。
「お、おい。オレはただ、『サラダ記念日』の意味をきちんとわかってもらおうと・・・」
「そんなんじゃダメだ」と君が言ったから7月6日はさらば記念日
「うへ~ゴメンナサイ!」と妻にあやまって7月6日は土下座記念日
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