眠らせてほしい男

2011年06月14日 | ショートショート



昼下がりの病院、丸椅子に腰を沈めた男は顔面蒼白、落ち窪んだ目が異様に光っていた。明らかに不眠症である。
「相当お困りのようですね」
医者の言葉に男はうなずいた。
「先生は、不眠症に相当お詳しいとか」「ええまあ。不眠症と一概に言っても、原因も症状もさまざまです。適切な治療をおこなうために、症状を教えてください」
「症状ですか。とにかく眠れなくて困ってるんです。シンと静まり返った寝室で横になっていると、時計の音ばかり気になってしまう」
「いけませんね。そんなに気になりますか」
「秒針の音が、洞窟で反響しているほどに大きく聞こえてくる。秒針の音か心臓の音か、わからなくなって」
「気になりますか」
「気になるなんてもんじゃない。あれは、彫刻家が像を刻むように、死神が私の命を刻んでいる音だ」
相当、神経がまいっているらしい。この手の患者に睡眠誘導型の内服薬を処方すれば、大量に服用する可能性がありそうだ。
そうそう、塗り薬タイプの睡眠薬があった。ヴィックス・ヴェポラップみたいなアレ。
胸や喉、背中などに塗布する。体温調節成分が体に直接浸透して体温を適切に保つ。吸引したハーブが緊張をほぐす。
リラックスした体に、同様に吸引した微量の睡眠導入剤が効いて、快適な睡眠が訪れる。
そうだ。あの塗り薬にしよう。
「大丈夫。ぐっすり眠れるようになりますよ。お薬、塗り薬になります」
医師はカルテに薬名を書き込んだ。

一週間後、患者が再び病院を訪れた。あいかわらず顔色が悪い。いや前よりもさらに生気がないくらいだ。
「先生、あのクスリ、ホントに効くんですか?まったくよくならない。もう限界だ」
「奇怪しいなぁ。毎日ちゃんと塗りましたか?」
「もちろんですよ、表も裏も」
「表も裏も?」
「分解して文字盤から長針短針秒針、くまなく。でもあいかわらずうるさくて眠れやしない」



(最後まで読んでいただいてありがとうございます。バナーをクリックしていただくと虎犇が喜びます)