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生命の言葉

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エゼキエル43 その時 見よ イスラエルの神の栄光が 東の方から来たが 地はその栄光で輝いた

2016-06-02 19:32:18 | 旧約聖書 26エゼキエル書



エゼキエル書43章

その後、彼はわたしを門に導いた。門は東に面していた。

その時、見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から来たが、その来る響きは、大水の響きのようで、地はその栄光で輝いた。

わたしが見た幻の様は、彼がこの町を滅ぼしに来た時に、わたしが見た幻と同様で、これはまたわたしがケバル川のほとりで見た幻のようであった。

それでわたしは顔を伏せた。

主の栄光が、東の方に面した門の道から宮にはいった時、 霊がわたしを引き上げて、内庭に導き入れると、見よ、主の栄光が宮に満ちた。

その人がわたしのかたわらに立った時、わたしはひとりの人が、宮の中からわたしに語るのを聞いた。

彼はわたしに言った、

「人の子よ、これはわたしの位のある所、わたしの足の裏の踏む所、わたしが永久にイスラエルの人々の中に住む所である。

またイスラエルの家は、民もその王たちも、再び姦淫と、王たちの死体とをもって、わが聖なる名を汚さない。

彼らはその敷居を、わが敷居のかたわらに設け、その門柱を、わが門柱のかたわらに設けたので、わたしと彼らとの間には、わずかに壁があるのみである。

そして彼らは、その犯した憎むべき事をもって、わが聖なる名を汚したので、わたしは怒りをもって、これを滅ぼした。

今彼らに命じて姦淫と、その王たちの死体を、わたしから遠く取り除かせよ。

そうしたら、わたしは永久に彼らの中に住む。

人の子よ、宮と、その外形と、設計とをイスラエルの家に示せ。

彼らはその悪を恥じるであろう。

彼らがその犯したすべての事を恥じたら、彼らに、この宮の建て方、設備、出口、入口、すべての形式、すべてのおきて、すべての規定を示せ。

これを彼らの目の前に書き、彼らにそのすべての規定と、おきてとを守り行わせよ。

宮の規定はこれである。

山の頂の四方の地域はみな最も聖である。

見よ、これは宮の規定である。

祭壇の寸法はキュビトですれば、次のようである。(そのキュビトは一キュビトと一手幅である。)土台は高さ一キュビト、幅一キュビト、その周囲の縁は半キュビトである。 祭壇の高さは、次のとおりである。地面の土台から下のかさねまで二キュビト、幅は一キュビト、また小さいかさねから大きいかさねまで四キュビト、その幅は一キュビトである。 祭壇の炉は四キュビトで、祭壇の炉から高さ一キュビトの角が四本出ていた。 炉は長さ十二キュビト、幅十二キュビトの四角形である。 そのかさねは四方とも長さ十四キュビト、幅十四キュビトの四角形、その周囲の縁は幅半キュビト、その台は四方一キュビト、その階段は東に面する」。 彼はわたしに言った、「人の子よ、主なる神はこう言われる、祭壇を建て、その上に燔祭をささげ、これに血を注ぐ日には、次のことを祭壇の定めとせよ。 すなわち主なる神は言われる、ザドクの子孫で、わたしに近く仕えるレビびとである祭司には、罪祭のために雄牛の子を与えよ。 またその血をとって、これを祭壇の四つの角と、かさねの四すみと、周囲の縁に塗って、祭壇を清め、これをあがなえ。 あなたはまた罪祭の牛をとって、これを聖所の外、宮のうちの定められた所で焼け。 第二日に、あなたは無傷の雄やぎを、罪祭としてささげよ。すなわち雄牛で清めたように、これで祭壇を清めよ。 清めごとを終えたなら、無傷の雄牛の子と、群れの中の無傷の雄羊とをささげよ。 これを主の前に持ってきて、祭司らはその上に塩をまき、これらを燔祭として主にささげよ。 七日の間、あなたは日々雄やぎを罪祭とせよ。また雄牛の子と、群れの中の雄羊との無傷のものをととのえ、 七日の間、彼らは祭壇をあがない、これを清め、これを聖別しなければならない。 彼らがこれらの日を満たしたとき、八日目から後は、祭司たちは、あなたがたの燔祭と、酬恩祭とを祭壇の上に供える。

そうすれば、わたしは、あなたがたを受けいれると、主なる神は言われる」

エゼキエル書 43:1-27

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聖書を完読しよう845
26-43

エゼキエル42 彼はわたしを北の方の内庭に連れ出し、北の方の建物に対する室に導いた

2016-06-02 19:31:27 | 旧約聖書 26エゼキエル書



エゼキエル書42章

彼はわたしを北の方の内庭に連れ出し、庭に向かった北の方の建物に対する室に導いた。

北側にある建物の長さは百キュビト、幅は五十キュビトである。 二十キュビトの内庭に続いて、外庭の敷石に面し、三階になった廊下があった。 また室の前に幅十キュビト、長さ百キュビトの通路があった。その戸は北に向かっていた。 その建物の上の室は、下の室と中の室よりも狭かった。それは廊下のために、場所を取ったためである。 これらは三階であって、外庭の柱のような柱は持たなかった。それで上の室は、下および中の室よりも狭いのである。 室の外に沿ってかきがあり、それは他の室に向かって外庭に至る。その長さは五十キュビト、 外庭の室の長さも五十キュビトあった。宮に面する所は百キュビトであった。 これらの室の下に外庭からこれにはいるように、東側に入口があった。 外側のかきは、外庭に始まっている。南の方で、庭と建物との前に、室があった。 北向きの室と同様に、その前に通路があり、その長さも幅も同様で、その出口もその配置もその戸も同様である。 南の室の下に、人々が通路にはいる東の入口があり、これに対して隔てのかきがあった。 時に彼はわたしに言った、「庭に面した北の室と、南の室とは、聖なる室であって、主に近く仕える祭司たちが、最も聖なるものを食べる場所である。その場所に彼らは、最も聖なるもの、すなわち素祭、罪祭、愆祭のものを置かなければならない。その場所は聖だからである。 祭司たちが、聖所にはいった時は、そこから外庭に出てはならない。彼らは勤めを行う衣服を、その所に置かなければならない。これは聖だからである。彼らは民衆に属する場所に近づく前に、他の衣服を着けなければならない」。 彼らは宮の庭の内部を測り終えると、東向きの門の道から、わたしを連れ出して、宮の周囲を測った。 彼が測りざおで、東側を測ると、測りざおで五百キュビトあり、 また転じて、北側を測ると、測りざおで五百キュビトあり、 また転じて、南側を測ると、測りざおで五百キュビトあり、 また転じて、西側を測ると、測りざおで五百キュビトあった。 このように、四方を測ったが、その周囲に、長さ五百キュビト、幅五百キュビトのかきがあって、聖所と、俗の所との隔てをなしていた

エゼキエル書 42:1-20

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聖書を完読しよう844
26-42

エゼキエル41 彼がわたしを拝殿に連れて行った

2016-06-02 19:30:37 | 旧約聖書 26エゼキエル書



エゼキエル書41章

彼がわたしを拝殿に連れて行って、脇柱を測ると、こなたの幅も六キュビト、かなたの幅も六キュビトあった。

その戸の幅は十キュビト、戸のわきの壁は、こなたも五キュビト、かなたも五キュビトあった。彼はまた拝殿の長さを測ると四十キュビト、その幅は二十キュビトあった。 彼がまた内にはいって、戸の脇柱を測ると、それは二キュビトあり、戸の幅は六キュビト、戸のわきの壁は七キュビトあった。 彼はまた拝殿の奥の室の長さを測ると二十キュビト、幅も二十キュビトあった。そして彼はわたしに、これは至聖所であると言った。 彼が宮の壁を測ると、その厚さは六キュビトあり、宮の周囲の脇間の広さは、四方おのおの四キュビトあり、 脇間は、室の上に室があって三階になり、各階に三十の室がある。宮の周囲の壁には、脇間をささえる突起があった。これは脇間が、宮の壁そのものによってささえられないためである。 脇間は、宮の周囲の各階にある突起につれて、階を重ねて上にいくにしたがって広くなり、宮の外部の階段が上に通じ、一階から三階へは、二階をとおって上るのである。 わたしはまた宮の周囲に高い所のあるのを見た。脇間の基を測ると、六キュビトの一さおあった。 脇間の外の壁の厚さは五キュビト、あき地になっている高い所は五キュビトあった。宮の高い所と、 庭の室の間には、宮の周囲に、広さ二十キュビトの所があった。 脇間の戸は、あき地になっている高い所に向かって開け、一つの戸は北に向かい、一つの戸は南に向かっていた。そのあき地になっている所の幅は、周囲五キュビトであった。 西の方の宮の庭に面した建物は、幅七十キュビト、その建物の周囲の壁の厚さは五キュビト、長さは九十キュビトであった。 彼が宮を測ると、その長さは百キュビトあり、その庭と建物と、その壁は長さ百キュビト、 また宮の東に面した所と庭との幅は百キュビトであった。 彼が西の方の庭に面した建物と、その壁の長さを測ると、かなた、こなたともに百キュビトであった。宮の拝殿と、内部の室と、外の廊とには、羽目板があった。 これらの三つのものの周囲には、すべて引込み枠の窓があり、宮の敷居に面して、宮の周囲は、床から窓まで、羽目板であって、窓には、おおいがあった。 戸の上の空所、内室、外室ともに、羽目板であった。内室および拝殿の周囲のすべての壁には、同じように彫刻してあった。 すなわちケルビムと、しゅろとが彫刻してあった。ケルブとケルブとの間に、しゅろがあり、おのおののケルブには、二つの顔があり、 こなたには、しゅろに向かって、人の顔があり、かなたには、しゅろに向かって、若じしの顔があり、宮の周囲は、すべてこのように彫刻してあった。 床から戸の上まで、ケルビムと、しゅろとが、壁に彫刻してあった。 拝殿の柱は四角であった。聖所の前には、木の祭壇に似たものがあった。 その高さは三キュビト、長さは二キュビト、幅は二キュビトで、すみと、台と、壁とは、ともに木である。彼はわたしに言った、「これは主の前にある机である」 拝殿と聖所とには、二つの戸があり、 その戸には、二つのとびらがあった。すなわち二つの開き戸である。 拝殿の戸には、おのおのにケルビムと、しゅろとが、彫刻してあって、それは壁に彫刻したものと同じである。また外の廊に面して、木の天蓋があり、 廊の壁には、こなたかなたに引込み窓と、しゅろとがあった

エゼキエル書 41:1-26

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聖書を完読しよう843
26-41

エゼキエル40 都が打ち破られて後十四年の初めの月の十日 その日に主の手がわたしに臨んだ

2016-06-02 19:29:39 | 旧約聖書 26エゼキエル書



エゼキエル書40章

われわれが捕え移されてから二十五年

都が打ち破られて後十四年

その年の初めの月の十日、その日に主の手がわたしに臨み、わたしをかの所に携えて行った。

すなわち神は幻のうちに、わたしをイスラエルの地に携えて行って、非常に高い山の上におろされた。

その山の上に、わたしと相対して、一つの町のような建物があった。

神がわたしをそこに携えて行かれると、見よ、ひとりの人がいた。

その姿は青銅の形のようで、手に麻のなわと、測りざおとを持って門に立っていた。

その人はわたしに言った、

「人の子よ、目で見、耳で聞き、わたしがあなたに示す、すべての事を心にとめよ。

あなたをここに携えて来たのは、これをあなたに示すためである。

あなたの見ることを、ことごとくイスラエルの家に告げよ」

見よ、宮の外の周囲に、かきがあり、その人の手に六キュビトの測りざおがあった。そのキュビトは、おのおの一キュビトと一手幅とである。彼が、そのかきの厚さを測ると、一さおあり、高さも一さおあった。 彼が東向きの門に行き、その階段を上って、門の敷居を測ると、その厚さは一さおあり、 その詰め所は長さ一さお、幅一さお、詰め所と、詰め所との間は五キュビトあり、内の門の廊のかたわらの門の敷居は一さおあった。 門の廊を測ると八キュビトあり、 その脇柱は二キュビト、門の廊は内側にあった。 東向きの門の詰め所は、こなたに三つ、かなたに三つあり、三つとも同じ寸法である。脇柱もまた、こなたかなたともに同じ寸法である。 門の入口の広さを測ると十キュビトあり、門の長さは十三キュビトあった。 詰め所の前の境は一キュビト、かなたの境も一キュビトで、詰め所は、こなたかなたともに六キュビトあった。 彼がまたこの詰め所の裏から、かの詰め所の裏まで、門を測ると、入口から入口まで二十五キュビトあった。 彼がまた廊を測ると二十キュビトあり、門の廊の周囲は、すべて庭である。 入口の門の前から内の門の廊の前まで五十キュビトあり、 詰め所と、門の内側の周囲の脇柱とに窓があり、廊の内側の周囲にも、同様に窓があり、脇柱には、しゅろがあった。 彼がまたわたしを外庭に携え入れると、見よ、庭の周囲に設けた室と、敷石とがあり、敷石の上に三十の室があった。 敷石は門のわきにあり、門と同じ長さで、これは下の敷石である。 彼が下の門の内の前から、内庭の外の前までの距離を測ると、百キュビトあった。 また彼はわたしに先だって北へ行った。見よ、そこに外庭に属する北向きの門があった。彼はその長さと幅とを測った。 その詰め所が、こなたに三つ、かなたに三つあり、また脇柱と廊とがあった。これらは初めの門と同じ寸法で、長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトである。 その窓と、廊と、しゅろとは、東向きの門にあるものと同じ寸法である。そして七段の階段を経て、それに上ると、廊は内側にあった。 内庭の門は北と東の門に向かっていた。彼が門から門までを測ると、百キュビトあった。 彼がまたわたしを南へ行かせると、見よ、南向きの門があった。その脇柱と廊を測ると、他と同じ寸法であった。 これと、その廊の周囲とに、他の窓のような窓があって、その長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトあった。 これを上るのに七段の階段があり、その廊は内側にあった。その脇柱の上には、こなたに一つ、かなたに一つのしゅろがあった。 内庭には南向きの門があり、門から門まで南の方へ測ると、百キュビトあった。 彼がわたしを南の門から内庭にはいらせ、南の門を測ると、さきのものと、同じ寸法であった。 その詰め所と、脇柱と、廊とは、他のものと同じ寸法で、その門と、廊の周囲とには窓があり、門の長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトであった。 周囲に廊があって、その長さは二十五キュビト、幅は五キュビトである。 その廊は外庭に面して、脇柱の上にしゅろがあり、その階段は八段であった。 彼はまたわたしを内庭の東の方に携えて行って、門を測った。それは他と同じ寸法であった。 その詰め所と、脇柱と、廊とは、他と同じ寸法で、その門と、その廊の周囲とに窓があり、門の長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトである。 その廊は外庭に面し、その脇柱の上には、こなたかなたに、しゅろがあり、その階段は八段であった。 彼がまたわたしを北の門に携えて行って、これを測ると、それは他と同じ寸法であった。 その詰め所と、脇柱と、廊とは、他と同じ寸法で、その周囲に窓があり、門の長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトである。 その廊は外庭に面し、その脇柱の上には、こなたかなたに、しゅろがあり、その階段は八段であった。 門の廊に戸のある室があって、そこは燔祭の物を洗う所である。 門の廊に、こなたに二つの台、かなたに二つの台があり、その上で、燔祭、罪祭、愆祭の物をほふるのであった。 北の門の入口にある廊の外の片側に、二つの台があり、門の廊の他の側にも、二つの台があり、 門のかたわら、内側に四つの台、外側に四つの台があって、合わせて八つの台である。その上で、犠牲の物をほふるのである。 そこにまた燔祭のために四つの切り石の台があり、その長さは一キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト、その上に燔祭および犠牲をほふる器を置くのである。 内の周囲に、一手幅の折り釘が打ちつけてあって、供え物の肉は、台の上に置かれるのである。 彼はまたわたしを、外から内庭に連れてはいった。見よ、内庭に二つの室があり、一つは北の門のかたわらにあって南に向かい、一つは南の門のかたわらにあって、北に向かっていた。 彼はわたしに言った、この南向きの室は、宮を守る祭司のためのもの、 また北向きの室は、祭壇を守る祭司のためのものである。その人たちは、レビの子孫のうちのザドクの子孫であって、主に近く仕える者たちである。 そして彼が庭を測ると、その長さは百キュビト、幅も百キュビトで四角である。宮の前には祭壇があった。 彼がわたしを宮の廊に連れて行って、廊の脇柱を測ると、こなたも五キュビト、かなたも五キュビトであり、門の幅は十四キュビトである。門の壁は、こなたも三キュビト、かなたも三キュビトである。 廊の長さは二十キュビト、幅は十二キュビトであり、十の階段によって上るのである。脇柱に沿って、こなたに一つ、かなたに一つの柱があった

エゼキエル書 40:1-49

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聖書を完読しよう842
26-40

エゼキエル39 主なる神は言われる 見よ これは必ず成就する わたしが言ったからである

2016-06-02 00:00:35 | 旧約聖書 26エゼキエル書



エゼキエル書39章

人の子よ、ゴグに向かって預言して言え。

主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。

わたしはあなたを引きもどし、あなたを押しやり、北の果から上らせ、イスラエルの山々に導き、 あなたの左の手から弓を打ち落し、右の手から矢を落させる。

あなたとあなたのすべての軍隊およびあなたと共にいる民たちは、イスラエルの山々に倒れる。

わたしはあなたを、諸種の猛禽と野獣とに与えて食わせる。

あなたは野の面に倒れる。

わたしがこれを言ったからであると、主なる神は言われる。

わたしはゴグと、海沿いの国々に安らかに住む者に対して火を送り、彼らにわたしが主であることを悟らせる。

わたしはわが聖なる名を、わが民イスラエルのうちに知らせ、重ねてわが聖なる名を汚させない。

諸国民はわたしが主、イスラエルの聖者であることを悟る。

主なる神は言われる、見よ、これは来る、必ず成就する。これはわたしが言った日である。

イスラエルの町々に住む者は出て来て、武器すなわち大盾、小盾、弓、矢、手やり、およびやりなどを燃やし、焼き、七年の間これを火に燃やす。

彼らは野から木を取らず、森から木を切らず、武器で火を燃やし、自分をかすめた者をかすめ、自分の物を奪った者を奪うと、主なる神は言われる。

その日、わたしはイスラエルのうちに、墓地をゴグに与える。

これは旅びとの谷にあって海の東にある。これは旅びとを妨げる。

そこにゴグとその民衆を埋めるからである。これをハモン・ゴグの谷と名づける。

イスラエルの家はこれを埋めて、地を清めるために七か月を費す。

国のすべての民はこれを埋め、これによって名を高める。

これはわが栄えを現す日であると、主なる神は言われる。

彼らは人々を選んで、絶えず国の中を行きめぐらせ、地のおもてに残っている者を埋めて、これを清めさせる。

七か月の終りに彼らは尋ねる。

国を行きめぐる者が行きめぐって、人の骨を見る時、死人を埋める者が、これをハモン・ゴグの谷に埋めるまで、そのかたわらに、標を建てて置く。

(ハモナの町もそこにある。)

こうして彼らはその国を清める。

主なる神はこう言われる、人の子よ、諸種の鳥と野の獣とに言え、みな集まってこい。

わたしがおまえたちのために供えた犠牲、すなわちイスラエルの山々の上にある、大いなる犠牲に、四方から集まり、その肉を食い、その血を飲め。

おまえたちは勇士の肉を食い、地の君たちの血を飲め。

雄羊、小羊、雄やぎ、雄牛などすべてバシャンの肥えた獣を食え。

わたしがおまえたちのために供えた犠牲は、飽きるまでその脂肪を食べ、酔うまで血を飲め。

おまえたちはわが食卓について馬と、騎手と、勇士と、もろもろの戦士とを飽きるほど食べると、主なる神は言われる。

わたしはわが栄光を諸国民に示す。

すべての国民はわたしが行ったさばきと、わたしが彼らの上に加えた手とを見る。

この日から後、イスラエルの家はわたしが彼らの神、主であることを悟るようになる。

また諸国民はイスラエルの家が、その悪によって捕え移されたことを悟る。

彼らがわたしにそむいたので、わたしはわが顔を彼らに隠し、彼らをその敵の手に渡した。

それで彼らは皆つるぎに倒れた。

わたしは彼らの汚れと、とがとに従って、彼らを扱い、わたしの顔を彼らに隠した。

それゆえ、主なる神はこう言われる、いまわたしはヤコブの幸福をもとに返し、イスラエルの全家をあわれみ、わが聖なる名のために、ねたみを起す。

彼らは、その国に安らかに住み、だれもこれを恐れさせる者がないようになった時、自分の恥と、わたしに向かってなした反逆とを忘れる。

わたしが彼らを諸国民の中から帰らせ、その敵の国から呼び集め、彼らによって、わたしの聖なることを、多くの国民の前に示す時、 彼らは、わたしが彼らの神、主であることを悟る。

これはわたしが彼らを諸国民のうちに移し、またこれをその国に呼び集めたからである。

わたしはそのひとりをも、国々のうちに残すことをしない。

わたしは、わが霊をイスラエルの家に注ぐ時、重ねてわが顔を彼らに隠さないと、主なる神は言われる」

エゼキエル書 39:1-29

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26-39