Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
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「阿妹茶酒館」の窓には...

2005-02-12 | 九分、台湾のポジターノ!?
「阿妹茶樓」の窓には、何故か「浅草風鈴」がかかっていました。ロサンジェルスのリトル・トーキョーなんかで御土産に売ってそうなキッチュな風鈴。



たぶん、風鈴についている提灯と、建物の外にかかっている提灯とを揃えてあるのでしょうが、こうしてみると「阿妹茶酒館」自体が台湾人の抱く「日本のイメージ」で、豎崎路にまで溢れている「提灯」はさしずめ「日本のイコン」なのではないか。と思えてきます。

今頃気がついたのか。と言われそうだけど。





入口の「悲情城市」にかけられた大きなお面も、よくよくみると日本の能面でした。

九分は、かつて日本が統治した時代、ゴールドラッシュに沸き、隣町の金瓜石とともに多くの日本人が往来した街だったのです。終戦とともに日本人は去り、金も採れなくなり、新しい時代を迎えるはずだった街は、時代からも置いてけぼりを食らいます。人々の記憶からも消えていくのです。

台湾から去っていった日本人の後を襲ったのは、共産党との闘いに敗れ、大陸からやってきた国民党政府「外省人」たちでした。台湾人、つまり「本省人」は「犬が去って豚が来た」と嘆いたそうです。「日本人=犬」は喧しく吠えるけれど守ってもくれる。日本統治時代はいわば「警察国家」だったわけですが、新しくやってきた「国民党=豚」は、ただ食い荒らすだけで、前よりひどい「無政府状態」になってしまった。と言いたいのです。

やがて台北で起きた「二・二八事件」を皮切りに、国民党による本省人の弾圧が始まります。九分に程近い基隆でも、たくさんの本省人知識層が検挙され再び戻ってこなかったといいます。「豚より犬の方がましだった」そこに日本に対する懐古の感情が生まれます。台湾が、韓国や中国東北地方に比べて、かつての植民地支配者である日本に対して国民感情が悪くないのは、このような特異な歴史に因るのでしょう。

九分はまさに、戦後台湾の味わった悲劇性、日本とともに栄え廃れてしまった街の悲劇性と、二重に悲劇を背負った「悲情城市」だったのです。悲劇の時代は去った今、九分が「レトロ・イメージ」を纏ったまま「懐かしい日本」を現出させ、台湾のみならず日本からも観光客を集める観光地になったのは皮肉なことです。アジア諸国を旅する日本人は、各国に遺された植民地時代の跡、「負の遺産」を前にして、老いも若いも一様に複雑な贖罪意識が芽生えるといいます。しかし今なお自然な形で「懐かしい日本」が残る九分の街を訪問する体験は、それら負の遺産を訪ねるのとは全く異なります。訪れて贖罪意識を感じることなく楽しめる「日本のようであるが日本ではない」とても懐かしい場所なのです。