気ままな広州日記

2011年12月からわんぱく3兄弟を従えて広州で過ごしていましたが、2015年7月に本帰国しました。

3.11

2014-03-11 | 広州 日々の出来事
今日は送別会で朝飲茶に行きました。

お店は北京ダッグが食べられることで有名な采苑酒家
予約すると半額になるそうです。
ちなみに北京ダックは中国語で北京烤鸭(ベイジンカオヤー)。

総勢16人だったので、一人あたりは一切れか二切れだったのですが(店員さんが皮をはがして巻いてくれます)、
家族では(食べきれないかと)注文しないので大人数ならではでした。あ~幸せ
皮をとったあとのダックは今日は炒飯に。
楽しい時間はあっという間で、お昼頃お開きとなりました。
駐在生活は永遠ではないので本当に入れ替わりが多く、お別れは何度経験しても淋しい

帰宅後、ふと時計を見たら・・・ちょうど13時45分。日本時間で14時45分。
そう、3年前の今日ちょうど地震が起こった時間(正確には14時46分ですね)。
テレビをつけたら震災の追悼の式典が始まったところでした。

私は千葉に住んでいて、幼稚園のお迎えの後お友達の家で地震にあったのですが、あの日のことはまだ鮮明です。
外に出ると地面のあちらこちらから液状化による泥水が湧き出てきて、まともに歩けないくらいの強い揺れの中、お友達親子と声を掛け合いながら、どんどんあふれ出てくる泥水の中に足を浸し、怖いと泣きつく次男と三男を連れて長男を小学校に迎えに行き、心臓をバクバクさせながらようやく家に帰り着いたこと。
液状化による地割れや陥没、突起で自宅建物の周りはあまりにも変貌していたこと。
余震が続く中、原発事故のニュースを聞いた時のこと。
1カ月続いた上下水道の使えない生活に、余儀なくされた計画停電。
心が折れそうになる不便な状況を、お友達ママとメールで励ましあったり、助けてもらったりしながら乗り越えたこと。

二度と経験したくはないけど、私にとっても子供たちにとってもあのときのことは何かしら糧となっているはず。

広州は地震がないこともあり最近はあまり思い出していなかったのですが、
被災地ではまだ仮設住まいであったり、そのときの思いを抱えながら日々を過ごしている人たちが沢山いる現実。
未だに収束していない原発問題。
決して忘れてはいけない・・・と改めて思いながら黙祷しました。