カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

【告知】 機関誌『カウンセリング研究 VOL.24』発刊のお知らせ

2009年07月31日 | 告知 ・ 案内
機関誌『カウンセリング研究 VOL.24』(日本カウンセリング・センター 定価1.200円)を刊行しましたので、お知らせします。

 <CONTENTS>
・虚なるは心齊なり------------------------------笠井康人
・逐語検討会から感じたこと思ったこと----------------八代泰光
・カウンセラーの態度---------------------------小田桐真理
・「母と子の対話記録」を通じて思ったこと-----------田中真由美
・出会いとやさしさの実践-------------------------加藤泰久
・地域精神科看護とカウンセリングの統合を目指して---菊池美智子
・「スクール・カウンセラー」13年の経験から------------田中 茂
・死生観 ―安心して生きよう― --------------------佐世省吾
・自発協同学習で学ぶ-------------------------山本伊知郎
・また会える時まで------------------------------清水紀子
・平野先生の思い出---------------------------宮下武二郎
・平野先生に寄せて ~マイブログに掲載した文章より~--橋悦子
・感謝感謝です!-------------------------------岩田千香
・平野先生との出会い----------------------------志賀信子
・亀山山荘さんありがとう--------------------------藤野和子
・堀淑昭先生への追悼
  ―そして友田不二男先生との交流、および
  『ロージァズ全集』の編集などをめぐる回想― -------古屋健治


こうして目次だけ並べてみると、執筆者のところに友田不二男や平野正敏の名が無いのは、正直「寂しいなあ」という気がしますし、「時の流れって無常だなあ」とも思います(お二人とも故人になりましたので)。
老子は「道可道、非常道、名可名、非常名」と述べていますが、それはただ単にいわゆる“無常”だとか“はかない”ということを洞察し、意味・象徴している、いわば“虚無思想”なのでしょうか?
いや、そうではないでしょう。(老子に言わせれば)“カウンセリング”は仮の名前であり、また“友田不二男”も“平野正敏”も仮の名前である。これらは常の名ではない。だが、それはすべてが“無になる”とか“無意味・無価値である”という意味では決してない。時の流れとともに名前は変わり、あるいは消えたとしても、その名によって意味・象徴されている“何か”、人間には決して名付けられない“何か”、真実とか真相とか本質とかいう言葉にもできない“何か”、は永遠不滅・絶対不変である。
……というように老子が語りかけてくるメッセージが聞こえてくるのは、決して私だけじゃないでしょう。

上掲した論文を投稿してくださった方々は、名こそ“友田不二男”でもなければ“平野正敏”でもないわけですが、“カウンセリング”と仮に名付けられている“何か”を、それこそ身をもって求め求めるプロセスを現に歩んでいる、いや、未来に向かって歩み続けている人たちなのです。
ということなどもお含みの上、一人でも多くのカウンセリング学習者たちに読んでもらいたい! カウンセリングを探求し、実践し続けている人たちの姿を感じ取ってもらいたい! ……と願っています。

ホームページ上で通販も行なっていますので、詳細はこちらをご覧ください。
財団法人 日本カウンセリング・センター ホームページはこちら≫

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