囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

所沢うたごえ喫茶 ラブ&ピース 5月例会

2013-05-06 22:33:27 | うたごえ
20110211 あの日の授業~新しい憲法のはなし


あの日の授業 【G】
-新しい憲法のはなし-


作詞
作曲 笠木 透
安川 誠


あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
  ■心に刻まれた あの日の授業
● そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と戦争をしないようにと、二つのことを決めました。
 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨ててしまう』ということです。
 しかし、みなさんは、決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

2 あの日の先生は 熱っぽかった 
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
  ■心に刻まれた その日の授業
●  もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手を負かして、自分の言いぶんを通そうとしないということを決めたのです。おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。
 なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。
 そうして、よその国となかよくして、世界中の国がよい友達になってくれるようにすれば日本の国は栄えてゆけるのです

3 あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
  ■今ごろ分かった あの日の授業
4 あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
  ■心に刻まれた あの日の授業




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新おけら歌集(05/11/20) / 楽譜:ビーさん(2005/12)

■1947年、当時の文部省が発行し52年3月まで使われた教科書「新しい憲法のはなし」から引用している。フォーク・シンガー笠木透が中東湾岸戦争の翌年、1992年に創作。
 国運のPKO(Peace Keeping Operation)の名のもとに自衛隊海外派兵が立法化された時であり、コンサートの新曲を考えていた笠木透はこの教科書と、それを教えた先生を思い出したという。
 ♪~あの日の先生は涙ぐんでいた 教え子を戦場に送ってしまった自らをせめておられたのだろう… 「戦争に負けて突然”民主主義””自由””基本的人権”といった言葉が先生の口から発せられ、めんくらった」「よく理解はできなかったが、先生が一生懸命だったことだけは覚えている」と述懐している。
うた新「歌の小箱」17(06/05/18)


所沢うたごえ喫茶 ラブ&ピース 5月例会は、6日の祝日の振替休日に開かれました。
5月3日の憲法記念日ガ含まれる週でもあることから、憲法にちなむうたも歌いました。
それが「あの日の授業」でした。

今回は、歌詞の部分は全員で歌い、セリフの部分はお国言葉=方言で読んでもらいました。

一番のセリフは女性に庄内弁で、2番のセリフは男性の伊予弁でした。なかなか味もあって素敵でした。

70人近くで、全部で33曲歌いましたが、平和憲法についてもチョツピリ勉強しました。

次回は、6月3日(月)です。
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山菜採り 4

2013-05-06 08:31:03 | 旅行
5月5日

前日は山菜まつりでお酒をご馳走になったので、別荘にもう一泊しました。



これが泊めていただいた別荘です。少し高いところに駐車場があり、乗って行った私の軽自動車です。

朝、起き抜けの6時半に別荘を発ちました。田麦から儀明トンネルと抜けると十日町市です。



道路に沢山の車が止まり、カメラマンが沢山いました。
私たちも何をとっているのか見てみました。
カメラマンに聞くと、「儀明の棚田と2本桜」として有名な撮影スポットでカメラの愛好家が全国から集まるそうです。



これがみなさんが狙っていた風景です。
棚田に桜が影を落とし、遠く頚城の山並みを望む景色は、日本の原風景でした。

朝立ちのため、渋滞に巻き込まれることなく、休み休みドライブして、午前中には所沢に帰りました。

この旅で、考えさせられることもありました。

 自分の車の運転です。別荘前で帰り支度をしようと車を玄関前に移動したとき、右前輪を側溝にはめ込んでしまいました。これを引き上げるのに連れ合いの知恵と力を借りて30分もかかってしまいました。
また、関越道では、ブレーキとアクセルを踏み違え、前のトラックに危なく追突しそうになりました。「高齢者の運転事故」が他人事と思えず、反省しきりでした。
 
 もう一つは、日本の原風景の棚田のことです。田麦の集落も含め、どこもあるのは自民党のポスターばかりでした。自民党が進めるTPPでは棚田も当然なくなってしまうような気がします。
 「限界集落」の言葉が現実のような田麦の集落を見て、日本の農村の将来が益々、心配になりました。
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山菜採り 3

2013-05-06 08:11:46 | 旅行
5月4日

上越市郊外田麦の集落では、毎年5月4日 みどりの日 に山菜まつりをしているそうです。私たちもこの催しに参加しました。

10時、集合場所に行くと、集落外の人が殆どで、100人位集まっていました。
山菜採りのグループと林間散策グループに別れました。



山菜はもう沢山採れたり、別荘のご近所の方から沢山頂いたりしたので、林間コースに参加しました、
案内は、ネイチャーガイドの植木さんでした。「田麦通信」と言うブログで、田麦の季節や生活の様子などをネットで発信している方だそうです。



林間コースの参加者は子どもも含めて23人でした。田麦の自慢のぶな林を散策しながら田麦の自然やぶな林などの豊かな自然について説明してくれました。

ぶな林を抜け、棚田の一番高いところに展望広場がありました。遠く妙高山などを望む景色の良いところでした。
地元の方が、山菜天ぷらをあげてくれた、焼肉セットが用意されていました。
参加費は、男性 1,500円、女性 1,000円で食べ放題、飲み放題でした。

私は「もったいない精神」で食べるのも、飲むのも頑張りました。お酒は、地元の地酒の「白鳥」でしたが、少しあまいお酒のように感じました。



ご満悦の我々です。左が別荘のオーナーのHさんです。
大島区出身の方で、連休に帰郷した人、高校の同窓会を兼ねて帰ってきた人、地元の郵便局長さんなど、いろいろの方と交流し、楽しいひと時を過ごしました。

天気も上々、暖かい日になり、最高の山菜まつりでした。

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