囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

白隠禅師の「達磨絵」を観る

2013-01-31 14:38:31 | 日記
白隠禅師の「達磨絵」を観に渋谷に行きました。
私は、「白隠」という人を知りませんでした。最近になって、NHKの「日曜美術館」でその作品が紹介せれたの以来、とても興味を持ちました。

この作品展の読売新聞の紹介記事の抜粋です。


東京・渋谷で初の大規模展

 江戸時代中期の禅僧で、日本に伝わる臨済宗の中興の祖となった白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685~1768年)の書画を集めた「白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ」が、東京・渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で開かれている。複雑な意味を盛り込んだ白隠禅画を、初めて大規模に紹介する展覧会だ。

 ぬっと顔を突き出した達磨(だるま)像の大作から展示は始まる。観音、鍾馗(しょうき)、布袋(ほてい)など、どれもおおらかで人間的。漫画めいたセリフ付きの絵も多く、自然に顔がほころんでしまうユーモアがある。

 白隠といえば達磨像。その展示コーナーでは10幅まとめて紹介され、年を重ねるにつれ自在な表現に至るさまがうかがえる。書も技法にとらわれず、野太くて滋味豊か。禅僧が書く「墨蹟(ぼくせき)」のいかめしさはない。

 白隠は現在の静岡県沼津市に生まれた。修行や地方訪問を除き、地元の松蔭寺(しょういんじ)を拠点に活動。民衆教化のため、自分の語録などの著作とともに1万点を超すとみられる書画を描いた。

 それらは明治以降、収集家や文学者らによって紹介されてきたが、国公立の美術館・博物館にはほとんど収蔵されず、国宝・国重文の指定もないという。

 主な理由は、作品が膨大でなかなか調査を尽くせないことや、絵に添えられた語句「画賛」の読解が困難であることなど、研究に大きな壁があったためだ。

 今回の展覧会は、全国を調査して1050点を収録した『白隠禅画墨蹟』(2009年)を監修した芳澤勝弘・花園大学国際禅学研究所教授と、白隠の魅力を語ってきた山下裕二・明治学院大学教授が監修。45か所の寺、美術館、個人から書画・資料115点を集めた。最近発見され、初めて紹介される作品もある。



 白隠は独学で絵を学び、同時代の画家との関係も解明されていない。しかし山下さんは「白隠の存在は、池大雅(いけのたいが)や曾我(そが)蕭白(しょうはく)、伊藤若冲(じゃくちゅう)といった18世紀の京都画壇の画家が、個性的な画風を展開する起爆剤となった可能性がある」と、隠れた重要性を指摘する。

 会場で目を見張るのは、多彩な画題と文字の多さ。「戯画」と呼ばれてきた一群の作品では、布袋やお多福のような親しみ深いキャラクターを描き、経典や説話から、当時のはやり歌、風習まで取り込んだ。一方で弟子には、禅問答のように難解な絵を与えている。

 芳澤さんは「画も賛も非常に饒舌(じょうぜつ)。表現することに貪欲だった人」と評する。「今を生きる人間にどうやって禅の教えを伝えるか、という発想があったから、相手に応じてあらゆるメディアを使い分けた」

 だからこそ、白隠を見せるのは「渋谷のような場所こそふさわしい」と2人の監修者は言う。「化学反応を起こして、新しい価値が生まれる。うれしかったのは、ツイッター(簡易投稿サイト)で若い女性が『道玄坂あたりで途方に暮れているお坊さんがいたら、会場に案内しましょう』と呟(つぶや)いていたこと」。芳澤さんは笑顔でそう語った。

 2月24日まで。無休。一部に展示替えがある。(文化部 高野清見)




 大作揃いで、大変、示唆に富む作品ばかりでしたが、見ていて疲れました。

帰路、山手線に乗ったら親御連れのお父さんの方が、席を譲ってくれました。余程、疲れたような顔をしていたのでしょう。

作品にもショックを受けましたが、すんなり席を譲られたことにもショックを受けました。
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春の兆し

2013-01-30 17:13:25 | 日記
寒い日が続きましたが、今日は暖かい日になりました。

一昨日、薄らと雪が積もった我が家の庭も急に春めいてきました。



水仙の花です。ひと月遅れで花が揃い始めました。



朝の福寿草です。この位が可愛くていいなと思っていました。



同じ福寿草が、正午ころには暖かい日差しを浴びて、こんなに咲ききりました。これでは開きすぎですが、健気に咲いていました。

夕方のは、花はつぼんでいました。こんな小さな草花も一生懸命生きていると思うと、とても愛おしくなりました。

日毎に、春の気配を見せる我が家の庭です。

水仙も福寿草も咲き始め小さな庭に春の気配が
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「花は咲く」を歌う

2013-01-29 14:47:43 | うたごえ
年金者組合所沢支部のうたごえサークルの練習日でした。



2月10日に、所沢支部の「早春のつどい」があり、会のオープニングに歌うことになったのが、「花は咲く」です。

30人程で歌うのですが、混声3部です。NHKテレビで絶えず流れているので、何となく聞いてはいました。

しかし、合唱で歌うとなると、とてもむずかいい歌でした。繰り返しが多い分、楽譜をよく見ないと、どこを歌っているのかわからなくなってします。男性と女性の掛け合いのところもあったり、歌う順序を覚えるだけでも大変でした。

アコーディオンの歌伴奏用の楽譜もありますが、こちらも未だに消化しきれずにいます。

アコ伴奏もできない、合唱もできない では何とも情けないです。

本番まで、もう練習はありません。当日、どうなるか心配ですが、それまでに、少し自習をしておきたいと思います。

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親子で、ふれあい食事会

2013-01-28 20:10:19 | アコーデイオン
今日は、地元の集会所で行われているふれあい食事会にアコーディオンを担いで行きました。
参加者は12名でした。例によって、ランチの前にみなさんに歌ってもらいました。

いつも同じ歌ばかりの様で申し訳ないような気がしました。
歌集のページの早い順番に、「うれしいひなまつり」「春の小川」「早春賦」「七つの子」「母さんの歌」「「浜辺の歌」「ゆりかご」「白い花の咲く頃」「りんごの歌」「知床旅情」「北国の春」でした。
最高齢の方は99歳の男性、いつも歌リードをしてくれる方が欠席でしたが、みなさん楽しそうに歌ってくれました。

今日のランチです。



肉じゃが、大根の葉と油揚げに煮物、大根、人参などのおしたし、うどん入りの味噌汁、ネーブルのデザートでした。



このふれあい食事会には、私の母親もいつもお世話になっています。食事を食べきれず、残してしまう方もいますが、母親は今日も「完食」でした。これが長寿の秘訣なのでしょう。

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映画「ひまわり」を観る

2013-01-27 17:27:37 | 囲碁きちのつぶやき
今日は、昨日封切りされたばかりの映画「ひまわり」を新宿・武蔵野館に観に行きました。小さな劇場でしたが、珍しく、満席となり、定員オーバーの方は、午後の部に回されたようです。
映画は、沖縄本土復帰40周年の記念に作られました。しかし、制作実行委員会が呼びかけた多くの団体・個人の協力金で作り上げられたもので、映画会社やスポンサー企業もない、心ある庶民の力で作られたものでした。



ストーリー
激しい爆音とともに米軍のヘリが沖縄国際大学へ墜落した。事故現場を見た山城良太は、52年前の石川市(現うるま市)の空を思い出していた。良太は宮森小学生6年生で仲良しの、茂と豊と二年生の一平達と元気に遊び回っていた。新学期、担任の先生が転校生の宮城広子を紹介する。良太はほのかな恋心を抱いた。沖縄の青い空の下で、良太の家族も、一平の家族も、広子の家族も一生懸命に生きていた。1959年6月30日、突然、米軍のジェット戦闘機が墜落し炎上しながら宮森小学校へ激突した。悲鳴をあげながら逃げまどう子ども達、良太は広子を助けようとしたが、広子は大きな傷を負い息絶えていた。校庭には一平の変わり果てた姿があった。悲しむように花壇のひまわりが風に揺れていた。

それから53年目の2012年、年老いた良太(長塚京三)は妻を失い娘の世話を受けている。孫である大学生の琉一(須賀健太)はゼミ仲間と共に沖縄国際大学へリ墜落事件と宮森小ジェット戦闘機墜落事件をレポート活動を始めるが、頑なに事件の真相を語らない良太など、事件の傷跡は今も深く遺族の心を苦しめている。琉一はゼミ仲間と共に基地と平和を考えるピース・スカイコンサートを決意するが、恋人の加奈(能年玲奈)との不和など、コンサートを前に様々な問題が起きはじめる・・・



太平洋戦争末期の沖縄本土決戦で大きな犠牲者を出した沖縄県民は、戦争の終わったあとも多くの犠牲者を出しました。その一つが1959年の宮の森小学校への米軍機の墜落です。そして、2004年、沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落など、沖縄に基地があるが故の犯罪や事故が絶えません。



そんな沖縄の三代・四代にわたる悲劇を描いています。

私自身は、沖縄問題に一定の理解を持っているように錯覚していましたが、沖縄県民の抱える問題は私たち本土(?)の人たちの理解を超える壮絶なものでした。
映画を見て、自身の勉強不足を改めて恥じました。

今、危険極まりないオスプレイが沖縄に配備され、またいつ悲惨な事故が起こるかもしれません。そんな時だからこそ、ひとりでも多くの方に見てもらいたい映画でした。

コメント (2)
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