囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

所沢市長「反省もしていない」・・・

2022-08-31 20:27:37 | 囲碁きちのつぶやき

昨日の東京新聞の小さな記事です。

私の住む所沢市の藤本市長の定例の記者会見での発言が問題になっています。

旧統一教会系の催しに出席したことを認めた上で、「反省もしていないし、もう関りを持たないとも言えない」と述べたそうです。

藤本市長は旧統一教会が「(霊感商法などの問題が)改善されたものと思っている」との認識を示しました。市長の参加が霊感商法の広告塔の役に利用されかねない と言う認識も反省もないようです。

こんな認識しか持たない市長を市民として恥ずかしいと思います。ぜひ、今度の市長選挙で変えなければいけないと思います。

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こちらも怖い「原発カルト」

2022-08-31 09:20:46 | さよなら!原発

岸田首相が原発再稼働、そして原発新設を表明しました。

私は、11年前の福島原発事故の後始末も全くできていないのに、何たる暴挙と怒りを覚えました。

小泉元首相は「毛地場泥棒的な原発政策転換」と批判いました。今日の東京新聞です。

そして「誰のための政治か?」と怒りをあらわにする昨日の「本音のコラム」の鎌田さんの記事です。

私も同感です。私的な葬儀に儀仗兵を動員した岸元防衛大臣然り。本当に「誰のための政治なのか」とつくづく思います。

ぜひ、お読みください。

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「学童疎開」展示 顛末記・・・

2022-08-30 08:28:37 | 囲碁きちのつぶやき

 戦争展の展示に際しお世話になった方々への報告です。

文中「赤とんぼ」とあるのは「学童疎開資料センター」の機関紙です。また、絵を描いた小島義一さん以外は、イニシアにしてあります。

♫♫♫♫♫

「学童疎開」展示、顛末記

 私は埼玉・所沢で長い間、「平和のための戦争展」に関わっています。今年、3年振りに戦争展を開催することになりました。「赤とんぼ」に絵本「家に帰りたい」の原画展が港区で開催されることを知り、6月23日に原画展を見に行きました。

その会場でお願いしたら「原画の貸し出しも可能」とのことでした。でも、高齢者には車で、原画を東京まで借りに行くこと難しいです。また、同会場で「学童疎開」のDVDも見せてもらいました。それは小平ききがきの会作成のもので上映時間は10分でした。

帰宅後、ネットで調べると「小平・平和と未来の会」があることを知りました。その代表のOさんにメールしたところ、小平在住の小島さんから沢山の絵を預かっているので貸し出し可能、DVDも貸し出しできるとのことを知り、借りることにしました。

 2022年8月26日‘金)から8月28日(日)の3日間、所沢ミューズ第2展示場で第33回所沢・平和のための戦争展が開かれました。

その展示のひとつとして「学童疎開」を取り上げ、学童疎開の絵画(Iさんへの聞き取りを小島さんが描いたもの16枚)と学童疎開に関する資料を展示しました。

26日、展示の絵を見た年金者組合のお仲間のMさんが「私が学童疎開したところと同じ場所です」と言いました。Mさんが最初に気が付いたのは落合で電車に乗る場面と牛に引かれて荷車に乗った子どもたちの姿でした。そして説明文の安楽寺でした。Mさんは帰宅後調べると、Iさんと同じ学校で同学年だったことがわかりました。あまりの奇遇に本人はびっくりしていました。(二人とも女性でしたので、改姓していた。)

27日には、イベント会場で、借りたDVD(10分)を上映した後、約60人の方の前で、Mさんは学童疎開の体験を1時間余、語りました。落合から茨城県水海道まで列車で行き、そこから荷車に載って安楽寺に行ったこと、そこでの苦楽や東京に帰るまでのことをリアルに語りました。6年生だったMさんは下級生より一足早く東京に戻ったこと、帰京の列車に乗る時、4年生の女の子が手を握って離さなかったことが一番つらかった。帰京後、空襲に合い、被災しまた東京を離れざるを得なかったそうです。

小平のみなさんから、絵画とDVDを借りたことを契機に、同じお寺へ集団疎開した同級生の消息を知ることが出来た とIさんは大変喜んでいました。

でも、小平の方から、さんが今年亡くなられたことも聞き、とても残念がっていました。お元気なら、疎開当時のことをふたりで語り合えたでしょう。

「赤とんぼ」、小島さんの絵、「小平・平和と未来の会」などの取り持つ縁で奇遇を得た今年の素敵な戦争展でした。ありがとうございました。

なお、私自身は当時小学校1年生で、縁故疎開の体験者です。

 

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戦争展が終わって・・・

2022-08-29 17:06:56 | 日記

3日間詰めた戦争展が終わって、日常生活に戻りました。でも、来年の展示のテーマを何にするか を考えました。どんな戦争も、兵士以外に罪のない女性や子どもの多くが犠牲になっています。ウクライナでも同じです。太平洋戦争の時もそうでした。中でも自分と同じくらいの年の子どもが「戦災孤児」になっていました。何年たってもそのことを忘れることが出来ません。そこで「戦災孤児」のことを取り上げようかな と考えています。

今日は町内会のことで近所を廻りました。

自分の担当する地域の組長さん18軒に「回覧板」を配りました。連れ合いの車いすと一緒でした。小1時間、6000歩でした。程よい運動になりました。

連れ合いの通う病院に行きました。

駐車場のハナミズキの実が大分色ついてきました。もうすぐ秋です。その秋に出かける家族旅行の旅行許可書を主治医からもらうためです。在宅酸素生活ですから旅行の2か月前位から準備を始めなければなりません。

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大雨の中で・・・

2022-08-28 21:04:12 | 憲法9条、大好き!

所沢・平和のための戦争展 3日目、最終日でした。

朝から大雨で来場する方が大変だ と心配しながら9時会場に行きました。でも、変わりやすい天気で、段々よくなりました。

ひ孫みたいな子どもたちに展示の説明をするのは難しいです。

写真は、小学校4年生の男の子です。でも、アメリカ軍の空襲で亡くなった方が沢山いるのは東京です。でも、広島・長崎も多いのはなぜでしょう?と聞くと、正しく答えてくれました。こんな子どもたちに説明する時が一番やりがいがあります。

イベント広場では今日もいくつもの催しがありました。所沢と沖縄のつながりを勉強した後、沖縄の三線の演奏でした。

参加者の方とエイサーも踊りました。

若いひとと高齢者?の核兵器禁止条約をめぐる報告会もありました。

奥がスピーカーのKNOW NUKES TOUKYOUの中村生さんと高橋悠太さん、手前が核兵器廃絶に取り組む大久保弁護士です。

ウイーンで行われた核兵器禁止条約締結国会議、ニュヨークで行われたNPT会議の様子と今後の課題をリアルに報告してくれました。

核兵器廃絶に向けてわれわれがやるべき課題について参考になることを熱く話してくれました。

3日間の展示を無事終えることが出来ました。

実行委員のみなさんの終了に当たっても打ち合わせです。

実行委員長からは「困難な中、3年ぶりの戦争展を成功させことが出来ました。期間中の来場者は 500人でした。当初の目標には届きませんでしたが、来年は第34回の戦争展をもっと多くの方に来てもらって開催しましょう。」の挨拶を受けて展示を撤収して閉会しました。

展示の説明をすることで私も多くのことを学びました。そんな体験を生かして来年も「見に来てよかった」と思っていただけるよう戦争展にするよう努力したいと思いました。

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