山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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土屋山城守高久伝説

2015-08-03 19:54:52 | 氏族の追跡
以前の(山城めぐり biglobe)で書きましたが。上州下仁田には武田勝頼の子信勝、落人伝説があります。
下仁田町史によれば、この伝説を調べられた市川一氏による調査記録が下仁田町青倉大桑原の市川孔計氏宅に「本姓武田市川家先祖調査書」として古文書が残されている。

市川家に伝わる武田家の日記には「この時土屋は勝頼の意をくみ、信勝の身代わりを立てて自裁せしめ、本当の信勝を護って、上州方面に遁れしものならん。」と、これは天正十年三月十一日に記されたもので、勝頼・信勝が自裁したと伝えられる当日であった。
そこで一氏は、長野県北佐久郡五郎兵衛新田村の市川四郎氏(現主人市川育英氏)を訪ね、これについて古文書を調べることにした。 
 この市川四郎氏の先祖は、南牧六人衆の一人市川四郎兵衛貞吉氏で、南牧村羽根沢に居住していた。(羽根沢城祉があった。)その古文書によると、「信勝は、土屋(山城守高久)とともに勝頼最期の地、大菩薩の峰に父勝頼を弔い、その地に別れを告げ、大洞山中に入り、赤岩峠を越え、上州山中領の上野村に至り、山越えにて甘楽郡檜沢を経て南牧月形村大日方を過ぎ羽根沢に至り、市川四郎兵衛宅に遁れたようである。」

信勝を逃すために同道した土屋山城守高久の墓が、神流町(旧中里村)山室に残っています。また近くの集落平原(へばら)には延命寺にやはり土屋山城守高久の墓があります。

神流町山室地図
国道299号線で平原トンネルを過ぎて1kmくらいで、山室への道案内があります。

山室集落の方には悪いが、とても辺境の地です。集落に入って、土屋山城守高久の位牌が祭られている集会所を教えてもらいました。(薬師堂は壊されてしまったとのこと)

橋倉川の支流の沢谷の斜面に作られた集落

集会場の玄関先にある宝篋印塔

偶然、集会所の隣の畑で働いておられたご婦人が土屋家の子孫の方で、御位牌を見せていただきました。位牌は確かに甲州 土屋山城守高久とあります。どうして高久は下仁田青倉大桑原の市川家に信勝と同道しなかったのか、おそらく高久は信勝を市川家に預け、自分はこの地に隠遁して織田氏の追及の手から逃れるためではないかと思われます。一緒にいれば目立ち、疑われる可能性が高くなると思ったのではと推測します。

平原延命寺地図
延命寺は次回とします。


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