山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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祢津下の城②

2018-12-18 21:04:06 | 山城ー信州
二の丸・三の丸へ


本丸北下曲輪

二の丸との大堀切

大堀切から本丸城壁を見返しています。

二の丸の南土塁

二の丸

三の丸北側の深堀

三の丸

三の丸から東に腰曲輪、その東下に祢津城の最大の見もの、竪堀

90度に折れた竪堀

縄張り図は「信濃の山城と館」上田・小県編より

次回 四の曲輪から池?


祢津氏②
室町期
南北朝合一後の応永7年(1400年)、信濃守護小笠原長秀と信濃国人衆が争った大塔合戦では、大文字一揆衆の大将として従五位下根津越後守遠光の名があり、大手門攻撃大将として根津越後守遠光、その他根津時貞、貞行、宗直、貞信ら一族や、桜井・別府・小田中・実田(真田氏の初見)・横尾・曲尾等の支族300騎を率いたことが『大塔物語』に記載されている。
この時の諸将の名から当時の根津氏の勢力は、真田、矢沢、横尾、曲尾方面だけでなく、佐久郡春日一帯や更級郡の一部、上田平の浦野川方面には根津支族である浦野氏や被官の岡村氏や出浦氏を代官として送っていることなどからかなり広範囲なものと確認することができ、現状確認の出来ている所領として祢津(東西)、新張、鞍掛、姫子沢、田中、小田中、桜井、大石、柴生田、赤岩、井子、糠地、別府、棗田、長坂、賀沢、田沢、大塚、栗林、赤石、浦野、岡、当郷、青木、馬越、塩原、田沢の28ヶ村に加え、新張牧放牧地である烏帽子岳、湯ノ丸山裏側大笹(現在の鹿沢)や、根津氏の鷹狩場ともいわれる矢立城の西、大室山につらなる殿城山一帯に根津氏系矢沢氏を配して同地も支配した。[注釈 1]
このことから、室町期当時の根津氏は小県郡の上記部分を中心に、支族を配した佐久群春日一帯や、更級郡の一部、また本領から北の地蔵峠を越えた上野国吾妻郡にまで影響を及ぼしていたことがわかり、また南北朝期での武蔵野合戦や桔梗が原合戦における副将や『太平記』での活躍、大塔合戦での総大将などからも、当時は事実上、滋野三家の中で軍事上は中核を担っていたものと思われる。
前述の根津越後守遠光については、1436年信濃守護小笠原政康と抗争したことが見られ、大塔合戦とは逆に政康に支城である芝生田城、別府城を落城させられた。
その後は守護小笠原氏に従属し、1440年の結城合戦では配下の実田(真田氏か)源太、源五等の配下とともに幕府方として奮戦したことが記載されている。
根津氏をはじめとする滋野一族は、その後東信濃の覇権をかけて村上氏と争った海野大乱などで、他の滋野一族とともに村上氏等に敗れ、徐々に圧迫されていった。
これにより、鎌倉期より東信濃から上野西部にわたる広大な領地も徐々に縮小されていったものと思われる。ウィキペディアより







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