石倉城は群馬県みなかみ町石倉にあります。
石倉城地図
越後の往復の途中で、渋滞があって水上ICで降りて、国道291号線を月夜野に向かって進むとすぐに石倉城址の看板があり立ち寄りました。。(上州・信州の山城はグーグル二番目の「山城めぐり」を見てください。)
国道291号線で寺間の信号を月夜野方面に向かい300mくらいに、この案内があります。この案内から50m先に路駐帯があります。
説明版、関東管領、上杉顕定が越後への中継基地として築いたものと伝えられています。顕定の弟、越後守護上杉房能は守護代長尾為景と抗争が続いていて、房能は敗死してしまい。この弟の仇を討つために顕定は越後へ出陣していった。
案内にありますように、北は利根川、南は寺間沢に挟まれた地形です。
東から西を見ています。西側先端部は沢と利根川によって狭くなっており、深堀などがあったものと推測します。
説明版には単郭式とありますが、東奥に空堀があり、二段に曲輪は分かれております。
東側、本丸、西側に土塁があり空堀を作って盛り土としたものでしょう。
本丸は東に伸びております。利根川と寺間沢とで細くなっています。
南にある寺間沢
空堀の北(本丸内)に台状の地形があり、ここに櫓があったのではないかと思われます。
上州では岩櫃城の麓、郷原駅の北に郷原城があることを知り、近日登ってみようと思っております。
石倉城地図
越後の往復の途中で、渋滞があって水上ICで降りて、国道291号線を月夜野に向かって進むとすぐに石倉城址の看板があり立ち寄りました。。(上州・信州の山城はグーグル二番目の「山城めぐり」を見てください。)
国道291号線で寺間の信号を月夜野方面に向かい300mくらいに、この案内があります。この案内から50m先に路駐帯があります。
説明版、関東管領、上杉顕定が越後への中継基地として築いたものと伝えられています。顕定の弟、越後守護上杉房能は守護代長尾為景と抗争が続いていて、房能は敗死してしまい。この弟の仇を討つために顕定は越後へ出陣していった。
案内にありますように、北は利根川、南は寺間沢に挟まれた地形です。
東から西を見ています。西側先端部は沢と利根川によって狭くなっており、深堀などがあったものと推測します。
説明版には単郭式とありますが、東奥に空堀があり、二段に曲輪は分かれております。
東側、本丸、西側に土塁があり空堀を作って盛り土としたものでしょう。
本丸は東に伸びております。利根川と寺間沢とで細くなっています。
南にある寺間沢
空堀の北(本丸内)に台状の地形があり、ここに櫓があったのではないかと思われます。
上州では岩櫃城の麓、郷原駅の北に郷原城があることを知り、近日登ってみようと思っております。