山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

小机城マップ

2018-03-15 12:03:48 | 日記
港北区役所4階、地域振興課に置かれている小机城址ガイドマップは、港北観光協会により1万部が制作、発行された。今このマップへの注目が高まり、同課に立ち寄った際に持ち帰る来庁者も多いという。

 区内にある小机城は昨年4月、公益財団法人日本城郭協会により「続日本100名城」に認定された。また、現在の城ブームもあり区役所には同城に関する問い合わせが増えたことから、協会がガイドマップの発行を決めたという。

 ガイドマップはA3サイズで、表裏にカラーで情報が掲載されている。昨年12月にパシフィコ横浜で行われた城に関するイベント「お城EXPO2017」の会場でお披露目され、区役所のほか、城郷小机地区センター、新横浜駅の観光案内所などにも置かれている。「ツアーで配布したい」と旅行会社から入手を希望する声も寄せられた。

近隣店舗等も紹介

 城の歴史については、横浜市歴史博物館学芸員の文章を掲載。櫓台や空堀といった遺構の位置を示す城跡マップのほか、城の見どころも記されている。加えて、近隣の「篠原城」「茅ヶ崎城」についての記述も。小机駅から小机城址までの案内図には、小机商店街協同組合の協力で周辺の店舗等が紹介されている。

 港北区役所地域振興課の押切ゆいさんは「小机城址は空堀や土塁などの中世城郭の遺構がほぼ原形のまま残されており、続日本100名城選定を契機に全国から注目を集めています。小机城址ガイドマップを片手にぜひ訪れてみてください」と話している。問い合わせ等は、港北観光協会(港北区役所地域振興課内)【電話】045・540・2234へ。

塩沢城

2018-03-15 10:58:51 | 山城ー武州
塩沢城は埼玉県小鹿野町両神薄にあります。

塩沢城地図


長尾景春の逃走経路、歴史民俗資料館の展示より

歴史民俗資料館地図
資料館では太田道灌、長尾景春について詳しく資料が公開されています。


県道279号線で旧両神村にはいり、バス停牛房の反対側に

塩沢地区に入る道があります。

集落の奥まで進むと林道となり、この案内があります。

地図では稲荷神社とありますが、現地では宇賀神社です。

駐車場の西に赤い鳥居があり、ここが登城口です。

30分ほどで、城壁が見えてきます。この上が

大きな曲輪です。

資料館にある縄張り図

斜面に何段もの段筑があります。

何段もの段筑を登ってゆきます。

登って見下ろせば段曲輪

北尾根第一曲輪の城壁、この先が山城の主郭部となりますが次回とします。

長尾景春の乱③
乱の経過

長尾景春の挙兵に相模の小磯城(神奈川県大磯町)の越後五郎四郎、小沢城 (相模国)(神奈川県愛甲郡愛川町)の金子掃部助、溝呂木城(神奈川県厚木市)の溝呂木正重(景春の被官)、そして小机城(神奈川県横浜市)の矢野兵庫が呼応。その他多くの関東の国人、地侍が景春に味方し侮りがたい勢力となった。これに南武蔵の名族豊島氏が同心する。鎌倉幕府の有力御家人だった豊島氏は室町時代に入って、その旧領を太田氏に奪われていた。石神井城と練馬城(東京都練馬区)に当主の豊島泰経、平塚城(東京都北区)にその弟の泰明が拠り、江戸城と河越城・岩槻城との連絡線を断ってしまった。
文明9年3月、道灌は先手を打って兵を動かし溝呂木城と小磯城を速攻で落とし、さらに小沢城を攻めるが、守りが堅く景春が援兵を送ったため一旦兵を引いた。小机城の矢野兵庫が出陣して河越城攻撃を図るが、太田資忠(道灌の甥)と上田上野介がこれを撃退した。
道灌は江戸城の指呼に勢力を張る豊島氏を早期に潰さねばならず、同年4月、上杉朝昌、三浦高救らの援軍を得た道灌は軽兵を発して平塚城城下を焼き払い、寡兵と侮って城を出て追撃してきた泰経・泰明を待ち伏せ、僅か50騎で200騎の豊島勢を打ち破り、泰明を討ち取った(江古田・沼袋原の戦い)。道灌は敗走した泰経を追って石神井城を囲む。泰経は降服を申し出るが、城破却の条件が実行されなかったため、道灌は城を攻め落とし、泰経は没落した。
同年4月、景春は五十子を出陣して利根川を渡り、顕定と定正の軍を鉢谷原で攻めるが撃退される。5月、道灌は顕定・定正と合流して五十子を奪回。用土原の戦いで景春を撃破。鉢形城を囲むが、成氏が8000騎を率いて出陣したため撤兵を余儀なくされた。ウィキペディアより