~そのまんまで いいよ & ゆっくりしいや~

だありんはNOW回復中!の若年性アルツハイマー病。失行 失認識 失語からの復活どこまで行けるかやってみなけりゃわからない

あまりに寒かったから

2017年01月18日 | つれづれ


おんがくは くうきのなかにきえていく
わたしたちは どこへいくんだろう
わからないからチャレンジ
きえていくまいにちをかきとめる

区役所へ行かなきゃならない用事があった

いけたらいこう

って 朝つぶやきながら
まったく行く気がないことしってた

お日様が西に傾いて
ムジカのレッスン室にレースの模様をうつす

いまからなら まだまにあう

でも
やっぱりいかないことにした

疲れてるわけじゃなくて
落ち込んでるわけじゃなくて
ふつうに元気で
ふつうにしゃきっとしてるけど

今日はOFFだ

そう決めたら
なんだかすっきりした

夕食後もピアノのまえにいくのはよそう
たまにはそんな日もあっていいよね

あったかいおへやで
だありんのそばで
リードつくろう
・・・ってやっぱ完全OFFにはなってないか

ずうっといっしょに

2016年01月01日 | つれづれ


おんがくは くうきのなかにきえていく
わたしたちは どこへいくんだろう

新しい年
ブログ おひさしぶりです
年末から休暇をまとめてとって
パパがずうっとおうちにいるから
いっぱい 時間を共有できる

なんか うれしくて
でも かなしくて
ものすごく つらくて
とてつもなく しあわせ

たくさんお話したし
いっしょにお散歩したし
展覧会 見にいったし
ピアノ弾いて 歌うたって
オーボエとセッションもした

ずっとムジカがかかえてた
「ああ、通じない」
って おもいが 一気にとけていく
しあわせな時間と同時に
「もう こんなこともできなくなってるんだ」

まのあたりにする時間

パパ自身も
半分受け入れられないでいたこと
もう 見ないふりはできない

そんなふたりの
とっても濃い時間がたくさんあって
ブログどころじゃなかった

パパの病状は確実にすすんでる

ムジカが福祉関係にこだわって
活動場所をさがしてたのは
学校の現場が続けられなくなったときに
そのまま
パパをムジカの活動にひきずりこみたかったから
まだすこし 時間があるから
今のうちって思ってた

どうしよう
どうしようどうしよう
間に合わなかったらどうしよう


音楽の力と平行して
言葉がだんだん不自由になる
もっと 聞いておきたいこと
いっぱいあるのに
まだまだ 伝えたいこと
いっぱいあるのに

どうなるんだろう
ゆっくりなんて してられない

どんなに厳しい病気の状態を話すときも
今まで泣かずにきたのに
パパの前でぼろぼろないちゃった
そんなムジカをじっとうけとめてくれるパパ
ありがとうパパ
今ほどパパを近くに感じたことはなかった

おねがい 待っててね
1月末のライヴは必ず成功させる
シリーズとして定着させるから
4月にはセッションしよう
絶対しよう

3月のライヴは二人で演る演目をいれる
ぜったいに 実現する

4月30日
27周年の結婚記念日には
パパと婚約時代にやった曲を
一人バージョンに改編して演るつもり

泣かないで歌えるように
それが いちばんたいへんかな
だって おけいこしてても声がつまってくる
そんな弱いことじゃだめなのにな

がんばるから
いそぐから
もう少し 遠くに行ってしまうのは待ってね
たくさん想い出を作ろうね
ムジカはずっとおぼえてるからね
そう・・・
へいき 大丈夫
いつか パパが忘れてしまう時が来ても

かならず言える
そのまんまでいいよ・・って



今日は金曜日

2015年12月16日 | つれづれ


おんがくは くうきのなかにきえていく
わたしたちは どこへいくんだろう

前を見たら不安
後ろをみたら まあまあふつう
そんなもんだな

じゃあ 現在は?

ひとこと!
バ・タ・バ・タ

毎日の生活は
幸せだとか 不安だとか
言ってる場合じゃなくて
とにかく動きつづけてなきゃいけなくて

なんかね
それが いちばんいいことなんじゃないかな
って
そう 思うよ

からだが動いてくれる
用事がいっぱいある
ちっちゃな事件がおこる
「どうしたの?」
って かけつける
かけつける体力がある
いいじゃん

できてない用事がいっぱいある
でも
ちかいうちに時間見つけられたら
ちゃんと できる気がしてる
それくらいには
自分の身体が信用できる
じゅうぶんじゃん

なんかね
弱音をはける場所がほしくて始めたブログなのにね

CDがなくなった
とか
指輪がみあたらない
とか
いっしょにバタバタさがした

コピー用紙のサイズがあわない
とか
ファイルがバッグにはいらない
とか
パパが工夫してるのを じいっと横で見てた

あ~ん めんどくさい
って言いながら
実は楽しかったりする


今日は金曜日
土日はなにしよう?
どんな日になるかな?

あいことば

そのまんまでいいよ
ゆっくりしいや
パパとムジカのよろずな日々
まだまだつづくよ

本棚をながめて

2015年11月27日 | つれづれ
おんがくは くうきのなかにきえていく
わたしたちは どこへいくんだろう

本が大好きだったパパ
一冊おわりまでを読みきれなくなって
この2年くらいほとんど本を手にとらなくなってたパパ
めずらしく 本棚の前をいったりきたり

この訳本あったろ?

いや・・といわれても・・・

とにかくパパの集めた本は膨大で
お引越しのとき 壁面を全部本棚にしても
はいりきらなかった
廊下にも天井までの本棚を買った
楽譜庫にもいつにまにか本
台所のもの入れも気がついたら本

このなかから1冊をさがすなんて いったいどうすりゃあいいの?

でもね
久しぶりだから
なんだかうれしくて
いっしょうけんめいさがしたよ
なんか ちょっとペースがつかめて
気持ちに余裕がでてきたのかな?
あれこれ 思索たのしんでるんだ
いろいろ 思い出してるみたい
よかったな
こころが ポッとあったかくなった

あとで じぃっと本棚ながめた
やたらに 脳 に関する本が多いな

お仕事も関係してるだろうけど
ひょっとして
ずいぶん前から 思考 認知
????っておもってたのかな

ま~た本増やして!!!
似たようなのばっかり!!

って いつも不機嫌になってたムジカ

こころのなかで
ゴメン
って 言った

にくったらしい本
場所ばっかりとって
いつか古本屋にうりとばしてやるんだって思ってた

ゴメン

この本読んだらパパのこころのなかが
少しはわかるかな?
でも こんなにたくさん読めるきがしない

読書をたのしんでるパパがいる
おだやかな日常がまだ続いてる
今は本たちがいとおしい


あいことば

そのまんまでいいよ
ゆっくりしいや

パパとムジカのよろずな日々
おだやかにすぎていきます

病気になったわけは

2015年11月23日 | つれづれ

おんがくは くうきのなかにきえていく
わたしたちは どこにいくんだろう

なんかすごい違和感があった
某 新聞の1面に毎朝連載のコラム
なんかすごく傷ついたきがした
でも それがなんなのかよくわかんないし
日常はようしゃなくおしよせてくるし
ひっかかっててもしかたないから
いったんは スルーしたんだけど・・・


あるソーシャルワーカーのことばに対してのコメント

不自然高じて病のスイッチがはいり
不自然とは何かを教えている

と いうようなことをのたまわれていたんだな


治療法のない病気
病気とともに生きていくしかない当人にとって
一見もののわかったような理屈をふりかざされるほど
いたたまれないことはない

あんたのメガネで勝手に色をつけてみないでよね って

病気になっちゃったら
なにが悪かったんだろう とか
病気になるのもいみがある?とか
わざわざ 教えていただかなくとも考えるよ ふつう

たとえば そんなこんなで落ち込んでるひとに
そっと よりそって
「病気になってわかったこともあるよね。病気のおかげだね。ものごと悪くばかりかんがえないで」
なんて いうのはよくあること

たとえば
「病気にも意味があるんだなあ。病気さんありがとう」
なんて 当人が納得しようとするのもほんとによくある

そんな姿をそばで見ていて
「病気ってのは、見えないなにかからのメッセージなんだ」
と 思うひともいたってそれはそのひとの実体験からおもうことだから
そういうこともあるでしょう


そんなシーンはもうじゅうぶんに経験したよ
だから
当事者としてムジカは言いたい

病気になるのに理由なんかない
病気だろうが 病気でなかろうが
あたえられた時間
精一杯に生きて 活動して
だれだっていつかはこの世を去ってく
それ以外ないんじゃないの?

身体がちょこっということきかなかったとしても
あちこち不便なとこがあったとしても
それが「自分」の「魂」の乗り物なら そいつをつかってやってくしかないでしょ
だから
毎日普通にやってますが なにか文句ありますか?


病気にありもしない意味をつけて
「おかげさま」
なんてことをばらまくのと
病気イコール普通じゃない だから近づくな
なんていう偏見と
けっきょく いっしょじゃん?

上段から 一般化してもの言って
しかも 不特定な読者にむけて
新聞の 一番目につく 1面で
もっというなら
「ちょっといい話でしょ」
的な 自己満足のにおいぷんぷんで


つらいことはつらい
かなしいことはかなしい
苦しい日は苦しい
でも
それ以外に意味なんかない

今日もふつうのいちにちがふつうにすぎていくだけ


そのまんまで
ゆっくりで
おだやかに

そうやってムジカもパパもステキに生きていますってば

なにげない会話

2015年11月21日 | つれづれ




おんがくは くうきのなかにきえていく
わたしたちは どこへいくんだろう

パパとあれこれ話してた

あまりに多い
アルツハイマー病に対する世間の無理解や偏見


それって 認知機能がうまくはたらいてへんってこととちゃうん?


ほんと ほんと絶対そうだ
わずらってる人から見たら世間の人のほうが認知症!
感じ方のパターンが違う
表現のパターンが違う
だからって メッセージそのものを認知できなかったら認知症じゃん!?

伝えたいメッセージがあるかぎり
伝える側もあきらめない
受け取る側もあきらめない
時間かかっても エネルギーつかっても
わかるまで あきらめない

こころを閉じてしまったら
マニュアル的に解釈してしまったら
コミュニケーションなりたたないのはあたりまえ

って

音楽といっしよじゃん!?

ああすれば こうなる なんてことなくって
その時々にうまれる一体感で
自在に変化するメッセージ
通じないもどかしさ
通じたときの達成感


そっか
そういうことだったのか
けっきょくいままでどおりってことか

つまり

そのまんまでいいよ
ゆっくりしいや
パパとムジカのよろずな時間
今日もおだやかにすぎていきました

まいにちをおりたたんで

2015年11月20日 | つれづれ




おんがくは くうきのなかにきえていく
わたしたちは どこへいくんだろう

つれづれ おもうこと

パパといっしょに生きていくのが
苦しかったから
おばあちゃんとパパの間にはさまって
どうしようもなかったから
あれこれ じたばた
たどりついたのがサイコセラピー

ムジカ自身
自分のこころのおくへおくへともぐりこんで
記憶と感情がどんなふうにおりたたまれて
しまいこまれてるのかを知った
どんなふうに「今」に侵入してきて
どんなふうに「今」に影響をあたえるのかを知った

ずいぶんイメージちがった

けど

やっと おばあちゃんとパパぎくしゃく母・息子
「ありえへん!!」
という気持ちが消えた

やっと思えた・・・そのまんまでいいよ

おばあちゃんとパパの中にしまいこまれたものを無視して
「仲良くしようよ」
というのが どんなに乱暴なおせっかいなのか
できないことは できない
それほど おりたたまれた過去は
つらいものも
おそろしくてくるしいものも
その人にとっては
いとしくて たいせつなもの
場合によっては「今」よりも強烈な現実なんだなあって


だから どんなおもいも
大事なんだよ
心の中にいてくれてありがとう
って言えたら やさしくなれるんだよ
ね パパ


そのまんまでいいよ
ゆっくりしいや

毎日すこしづつ
ムジカがこころのなかにおりたたんでいくのは
未来のムジカに贈る「いとしい過去」
これまでの
パパの行動におびえたり きずついたりしたことや
ふてくされたり くってかかったりしたことといっしょに
ぜんぶ未来のムジカの「現実」になる

だからねパパ
たのしいこと いっぱいしようね
いっぱいしようね

母と子

2015年11月17日 | つれづれ
おんがくは くうきのなかにきえていく
わたしたちはどこへいくのだろう


パパはおばあちゃんといっしょに暮らせない
ほんとうの母・息子なのに
すごく意識してるくせに
いらいら そわそわ ぎくしゃくなふたり
ずうっと ずうっと不思議

おばあちゃんがいた
介護型老人マンションが倒産した
退去しなきゃなんなくなって
かえってきたらいいのに
おばあちゃんの おへやもあるのに
いっしょに住めないふたり

パパの記憶のふかいふかいところに
かたくて 重いかたまりがある
ちいさなこどものパパがうずくまってる

発病して
このままではよくないなとおもうようになったパパ
過去も現在も未来も
さわりたくない おばあちゃん

そのまんまでもしかたないけど
やさしいゆうきをもてたら
もうちょっと
しあわせになれるよ
ゆっくりでいいから しあわせになろうよ
と おもいながら ひっこしのお手伝いをしたよ



あいことば

そのまんまでいいよ
ゆっくりしいや

パパとムジカのよろずな日々
おだやかにすぎていきます