まず、先日のLD関係の記事にコメントがありましたのでご紹介します。こんなコメントでした。
突然のコメント失礼します。私もLDについて少しだけ勉強しました。私の身近にもLDだと診断された子がいます。この子が小学生の頃、LDの様子が伺える…と、一部の教師に検査を勧められました。検査と言っても「この絵を見て何を発想するか?」「この絵を並べてみて…」「お豆腐は何からできてる?」など、これで学習障害だと断定できるのかと不思議に思ってました。診断結果は読み書きが苦手なLDだと言われました。この子が六年生になった時、学習支援クラスに入りましたが、友達との交流が主な授業ばかりでした。周りの人が「この子はLDではない」との声もあり、中学校へ入る時は学習支援クラスではなく、普通学級に入りましたが、数学と理科がビックリする程、成績が良くクラスの2番になりました。LDと診断されても、それを証明できる手帳の交付もなく、場合によってはこの記事にもあるように、希望している道を諦めなければならないなど厳しい現実があるのも事実です。ある教師が言われてました。「今は何でも障害だと名前を付けたがる時代だが、昔はこの子のような子供はたくさんいた。勉強についてこれないんじゃなく、教師側にも問題がある」と…。最もです(笑)5教科全てが出来なければLDなのか?と思います。2教科しか得意分野がなくても、人を思いやる心と向上心をもっていればもっと大きな道を進めるのではないか…と思ってます。学校に限らず、会社や家庭においても指導する者が視野を広くもって導けばもっと違う何かを見出だせるような気がします。長文、失礼しました。
素晴らしいご意見をありがとうございます。
このコメントに関する私の考えですが、
まず、LDは知的障害とは違いますので、読み書き計算等の特定の苦手な領域以外は適切に支援すれば普通にできることも多いかと思います。
(もちろん知的障害でもやりようでできる子はできますよ)ただし、読み障害が原因で理科の教科書が読めず、、、なんてことはあるかもしれませんが、そこは周囲の理解と支援次第でしょうか。
「教師側の問題」というご指摘ももっともです。しかし、私は「教師」ではなく、「教育界側の問題」と、もう少しマクロに考えています。
そのような子どもに配慮して指導するのは本来当然なんです。教師だって多分多くは配慮したいと思っています。
ただし、現状の教育界は教師の一人のマンパワーを大きく超えたものを要求していますので、そこまで教師に押し付けられないかな、とも思い。
教師が子どもに向き合えないぐらい多くのことを求める教育界全体の問題ではないかとも思います。
登下校、朝の表情から精神状態の確認、
持ち物や出欠健康チェック、朝の遊びでけが人が出れば家庭へも連絡
小学校なら授業は一日6コマ、国語算数だけではなく、家庭科の裁縫から図工の絵の書き方から体育の水泳からぜーんぶ。
SNSの使い方から、英語から道徳もぜーんぶ。
更に休み時間の仲間関係の指導、給食の食べ方、ハシの使い方から低学年ならトイレの使いかた。
放課後は長い会議を複数こなし、事務仕事。
遠足があれば役所への届け出、計画書。旅行会社に手配。集金の計算。しおり作成。終われば報告書。
その他膨大な事務。授業の準備時間は常に不足。
そして放課後のケンカなどのトラブルにも電話一本で出動!
これだけやらせて、なおそれ以上を求めるのではなく、もう少し配慮の必要な児童に接する時間を確保できるように、
教師側への配慮も必要かもしれません。
もちろん、教員側の理解や、教員の養成システムにも多くの問題があると思っていますので、それは後日、記事にしますね。
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