銭湯の流し

2009-05-31 09:12:49 | 日記
初耳ですね。銭湯に流しって。日本でここだけのようです。

 ランニングシャツに色落ちした青の短パンがいつものスタイル。入浴客よりひと回り大きなピンクの風呂おけと、黄色のあかすりタオルを抱えている。

 江戸時代には「三助」と呼ばれた。もともと銭湯には客の背中を流す湯女(ゆな)と呼ばれた女性がいたが、風俗的性格が強くなったため、男性に変わった。流しや肩こりのマッサージだけでなく、湯加減調整や番台業務など3つ以上の役割があったから-といったいわれがあるという。

 今やその伝統をただ一人守っている。昭和28年春、中学卒業後の15歳で富山県氷見市から上京し、同郷の縁を頼って世話になったのが、現在の職場でもある東京都荒川区東日暮里の銭湯「斉藤湯」だった。以来、50年以上にわたって客の背中と付き合ってきた。

 「地元では長男以外、働けるところがなかったからさ。ほかの仕事なんて、考えたこともないよ」

 昭和30~40年代前半にかけて、入浴料に追加料金を払う「流し」はちょっとしたぜいたくで、大工の親方ら江戸っ子の粋な振る舞いの一つだった。チップを弾む常連客も珍しくなく、次第に「流し」専門の人が増えたという。

 「あちらこちらに待合所のようなものがあって、人手が足りないときは助っ人が呼ばれてくるほどだった。『流し』にマニュアルなんてものはないから、見習い仕事の合間を見つけて、先輩のやり方を見よう見まねで覚えていくしかなかったね」(日本で唯一の銭湯の流し 江戸っ子の背中見つめて(産経新聞) - Yahoo!ニュース)

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