花巻東・大谷、メジャー表明 両親の反対押し切り「決めました」

2012-10-22 07:56:06 | スポーツ

ドラフト1位が確実視されていた花巻東(岩手)の大谷翔平(3年)が21日、花巻市内の同校で記者会見し、メジャー挑戦を表明した。佐々木洋監督(37)を交え会見直前まで行っていた家族会議では、両親が米国行きに強く反対。ただ、最後は本人の強い意思に折れる形で説得を断念した。25日のドラフト会議へ向け、12球団は戦略の見直しを迫られることになった。
 
 夢を貫く思いは最後まで揺らがなかった。午後5時3分。すっかりと日が暮れた校舎前の会見場に、大谷がカメラのフラッシュを浴びながら姿を見せた。「きょうまで迷いましたが、アメリカでプレーさせていただくことに決めました」。真っすぐに前を見つめて切り出すと、駆けつけた約50人の一般市民からは拍手がわき起こった。
 
 答えはギリギリまで出なかった。メジャー挑戦を希望する大谷と、日本球界を経てからでも遅くないとする両親。両者譲らず、学校側が午後5時から進路表明をすると発表したこの日も、午後2時から話し合いを行っていた。父の徹さん(50)は「決まったのは、ついさっき。できれば国内でプレーしてほしかったが、最後は本人の意思で決めました」と苦渋の表情を浮かべた。
 


 
 ドラフト1位クラスの高校生が、メジャー挑戦を表明するのは初めてのことだ。「入学当初からの夢で、ずっとメジャーでプレーしたかった」と言うが、周囲は日本球界からポスティングシステムを利用して海を渡る道も助言したという。それでも「早く、若いうちから行きたい」という本人の意思が揺らぐことはなかった。
 
 覚悟もできている。現状ではマイナー契約が確実。過酷な生存競争が待っているが、「厳しい中で自分を磨きたい」と大谷。佐々木監督は「リスクも分かった上で、お金とかじゃなく、夢のために行きたいということでした」と代弁した。
 
 世界最高峰の舞台でやっていく自信を聞かれると、「まだまだそういうレベルの選手じゃないことは分かってる」と前置きした上で「なるべく早くメジャーでプレーしたい」と語った。193センチの規格外右腕が、壮大なアメリカンドリームの第一歩を踏み出した。
 
 ◆日本球界を経ずにメジャー挑戦した過去の主な選手
  ▽マック鈴木 本名・鈴木誠。滝川二高を中退後、米球界挑戦。1993年にマリナーズとマイナー契約し、96年にメジャーデビュー。02年ドラフトでオリックスに2巡目指名を受けるまでに米5球団を渡り歩き、メジャー通算16勝31敗、防御率5.72。
  ▽多田野数人 立大時代の02年ドラフトで、自由枠指名が確実となっていたが、右ひじ痛などを理由にどの球団も指名回避。米球界挑戦を決め、03年3月にインディアンスとマイナー契約。04年にメジャーデビュー。07年ドラフトで日本ハムから1巡目指名を受け、日本球界へ。メジャー通算成績は15試合で1勝1敗、防御率4.47。
  ▽田沢純一 新日本石油ENEOS4年目の08年に、ドラフト指名を見送るよう12球団に文書を送付し、メジャー挑戦を表明。同年12月にRソックスと3年総額400万ドルでメジャー契約。09年にメジャーデビュー。今季は中継ぎとして自己最多の37試合に登板して1勝1敗1セーブ、防御率1.43の成績を残した。



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